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The Uses of Literature in Modern Japan

 

 

今日、1冊の本が届いた。

 

 

マサチューセッツ大学の研究者の女性が見学にみえたのは2014年の春。

 

今から4年前だ。

 

文学者ゆかりの建物が現代日本でどのように活用されているのか取材中で、

 

当館はなにか、ほかに例を見ないユニークな公開の仕方である

 

という感想をいただいて、その後、E-mailでインタビューをやり取りしたが、

 

 

 

届いたのは、文学の出版文化史についての研究プロジェクトをまとめたその本であった。

 

 

 

青い付箋が貼られたページを開いたら、

 

あ・・・

 

 

 


 

 

 

 

太宰さんの書斎にいる僕の姿。

 

こんな風にして書いてたんでしょうね、と座ってみたところ。

 

 

英文をたどたど読むと、僕の太宰治語りについて紹介がされていた。

 

恥ずかしいが、とても嬉しい。

 

 

この研究書がアメリカの大学でどういう読まれ方をするのか、

 

これを読んで、もしもかの国の方が訪ねていらしても

 

ああ申し訳ない、英語でのガイドは(;^_^A・・・いやいやいや

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たけさんはいませんか

 

 

快晴の津軽平野をたくさんのメロス達が走る。

 

今日は五所川原市で「2018 走れメロスマラソン大会」がありました。

 

この時期は津軽地方の多くの学校でも運動会が行われています。

 

 

 

そして今日5月27日は、小説「津軽」のクライマックス場面、

 

 

さて、私は、この陽気なお神楽の群集の中から、

私の育ての親を捜し出さなければならぬ。

わかれてから、もはや三十年近くなるのである。

 

「越野たけといふひと、どこにいるか、ご存じぢやありませんか。」

 

 

幼少の時に子守をしてくれた女性を訪ねて

 

運動会で賑わう漁村の小学校に行ったその日であります。

 

 

 

ほんとうにおだやかなよいお天気でした。

 

 

 

 

 

特別な日に

 

5月21日は特別な気持ちでお客様を待ちます。

 

 

 

 

 

・・・小説「津軽」より・・・

 

てみると、しかし、津軽もそんなに小さくはない。その翌々日の昼頃、私は定期船でひとり蟹田を発ち、青森の港に着いたのは午後の三時、それから奥羽線で川部まで行き、川部で五能線に乗りかへて五時頃五所川原に着き、それからすぐ津軽鉄道で津軽平野を北上し、

 

 

 

 

 

 

私の生れた土地の金木町に着いた時には、もう薄暗くなつてゐた。蟹田と金木と相隔たる事、四角形の一辺に過ぎないのだが、その間に梵珠山脈があつて山中には路らしい路も無いやうな有様らしいので、仕方なく四角形の他の三辺を大迂回して行かなければならぬのである。

 

 

 

 

 

 

 

昭和19年の「津軽」の旅で東京を発ってから

 

あれこれ1週間も遠回りして

 

太宰さんがようやく金木の生家に帰ってきたのが同じ日の夕暮れ

 

大屋根の下の玄関を前に、少し緊張しただろうな。

 

 

 

金木の生家に着いて、まづ仏間へ行き、嫂がついて来て仏間の扉を一ぱいに開いてくれて、私は仏壇の中の父母の写真をしばらく眺め、ていねいにお辞儀をした。それから、常居といふ家族の居間にさがつて、改めて嫂に挨拶した。

 

 

 

同じ季節を旅して、今日がその日です、お客様。

 

そして今夜から、優しい生家の人たちとの数日が始まるところ。