2023.11.10 Friday
2016.01.31 Sunday
さよなら、先生
【おしらせ】
おおのの♪の新作芝居のチラシが当館に届き、配布しています。
■公演の詳細■
おおのの♪『さよなら、先生』
原案/太宰治「グッド・バイ」ほか
脚本・演出/大野裕明(花組芝居)
日時/4月20日(水)〜24日(日)
劇場/下北沢・シアター711
出演/三村聡、二瓶拓也(花組芝居)、川西佑佳(扉座)、藤澤志帆、
富山聡子(桃唄309)、土屋杏文(青☆組)、三村萌緒
あらすじ/ダザイのもとに、若き編集者が訪ねてくる。彼に最新作の原稿の一部を渡す。
作品のタイトルは、『グッド・バイ』。その内容とは、主人公・田島周二が
心を改め、愛人たちと別れるために、ある作戦を決行していく、というもの
だった。そしてこの話に、ダザイと、彼を愛する人たちの物語が交錯していく……。
チケット前売/ 2月20日(土)10時より
チケット取り扱い/
●おおのの♪ oonono.info@gmail.com
●CoRich! PC https://ticket.corich.jp/apply/70720/
携帯 http://ticket.corich.jp/apply/70720/
2016.01.30 Saturday
決壊
『もういちど太宰を読もう』
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。
今日、16:40頃、金木町『太宰治疎開の家』で、屋根雪の崩落がありました。
この十日ほどの間に積もった雪が屋根の重なるところにつかえて、気温が上がった日も
融け落ちなかったため、今日昼頃に店長が屋根に上り、つかえていた氷をスコップで割
っておいたところ、夕方になって決壊が起こった模様です。館内で店長が最後のお客様
をご案内中に、まるで雷のような音が響き、一気になだれ落ちた雪は、ご覧のように門
の上の高さまで積み上がりました。お客様には轟音の理由を笑って解説した店長でした
が、その後、外の状況を確認し、大変ショックを受けた様子です。明日は半日雪片付け
に追われる見込みです。
※雪の無い季節の同じ場所
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。
今日、16:40頃、金木町『太宰治疎開の家』で、屋根雪の崩落がありました。
この十日ほどの間に積もった雪が屋根の重なるところにつかえて、気温が上がった日も
融け落ちなかったため、今日昼頃に店長が屋根に上り、つかえていた氷をスコップで割
っておいたところ、夕方になって決壊が起こった模様です。館内で店長が最後のお客様
をご案内中に、まるで雷のような音が響き、一気になだれ落ちた雪は、ご覧のように門
の上の高さまで積み上がりました。お客様には轟音の理由を笑って解説した店長でした
が、その後、外の状況を確認し、大変ショックを受けた様子です。明日は半日雪片付け
に追われる見込みです。
※雪の無い季節の同じ場所
2016.01.26 Tuesday
圧力
2016.01.19 Tuesday
明日は休館日
2016.01.18 Monday
太宰のペンネームのこと
『もういちど太宰を読もう』
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。
本名は津島・・・で、太宰というペンネームはどこから採ったのですか?
↑お客様からよく訊かれるこの問いには
諸説あるようですが「太宰府」の太宰らしい、と答えるようにしていました。
菅原道真にあやかってのことではなかったか、と、どこかで読んだ気がして
なんとなくそうお話していたのです。
最近、『太宰治・坂口安吾の世界』(柏書房)という本を読みました。
昭和23年発行の雑誌『大映ファン』の「女優・関千恵子の太宰先生訪問記」が収録されていて
「先生のペンネームの由来をお聴かせ下さい」というインタビューに
太宰はこう答えていました。
「特別に、由来だなんて、ないんですよ。小説を書くと、家の者に叱られるので、雑誌に発表
する時本名の津島修治では、いけないんで、友だちが考へてくれたんですが、万葉集をめくつ
て、初め、柿本人麻呂から、柿本修治はどうかといふんですが、柿本修治は、どうもね。
そのうち、太宰権帥大伴の何とかつて云ふ人が、酒の歌を詠つてゐたので、酒が好きだから、
これがいゝつていふわけで、太宰。修治は、どちらも、おさめるで、二つはいらないといふので
太宰治としたのです」
「太宰権帥大伴の何とか」は万葉集にある大伴旅人(おおとものたびと)のことです。
実際は太宰府次官の太宰権帥(だざいのごんのそち)ではなく
太宰府長官太宰帥(だざいのそち)ですね。
高校時代の先輩の名だとか、ドイツ語だとか、太宰のペンネームの由来は諸説あり、
本人が別の由来も語っていたようなので本当はどれなのか分かりませんが
生家に勘当された自身と、左遷されて九州に下った道真を重ねたのではなかったようです。
『太宰治・坂口安吾の世界』には、太宰ゆかりの人達の手記やインタビューが復刻されていて
井伏夫妻の証言や安吾や織田作のこと・・・etc
同時代の言論と社会の雰囲気がページから匂い立ってくるような興味深い記事と写真が満載です。
ああ、こりゃあ今夜も眠れない。
うそ。
このごろは雪かきの疲労ですぐ寝てしまいます。
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。
本名は津島・・・で、太宰というペンネームはどこから採ったのですか?
↑お客様からよく訊かれるこの問いには
諸説あるようですが「太宰府」の太宰らしい、と答えるようにしていました。
菅原道真にあやかってのことではなかったか、と、どこかで読んだ気がして
なんとなくそうお話していたのです。
最近、『太宰治・坂口安吾の世界』(柏書房)という本を読みました。
昭和23年発行の雑誌『大映ファン』の「女優・関千恵子の太宰先生訪問記」が収録されていて
「先生のペンネームの由来をお聴かせ下さい」というインタビューに
太宰はこう答えていました。
「特別に、由来だなんて、ないんですよ。小説を書くと、家の者に叱られるので、雑誌に発表
する時本名の津島修治では、いけないんで、友だちが考へてくれたんですが、万葉集をめくつ
て、初め、柿本人麻呂から、柿本修治はどうかといふんですが、柿本修治は、どうもね。
そのうち、太宰権帥大伴の何とかつて云ふ人が、酒の歌を詠つてゐたので、酒が好きだから、
これがいゝつていふわけで、太宰。修治は、どちらも、おさめるで、二つはいらないといふので
太宰治としたのです」
「太宰権帥大伴の何とか」は万葉集にある大伴旅人(おおとものたびと)のことです。
実際は太宰府次官の太宰権帥(だざいのごんのそち)ではなく
太宰府長官太宰帥(だざいのそち)ですね。
高校時代の先輩の名だとか、ドイツ語だとか、太宰のペンネームの由来は諸説あり、
本人が別の由来も語っていたようなので本当はどれなのか分かりませんが
生家に勘当された自身と、左遷されて九州に下った道真を重ねたのではなかったようです。
『太宰治・坂口安吾の世界』には、太宰ゆかりの人達の手記やインタビューが復刻されていて
井伏夫妻の証言や安吾や織田作のこと・・・etc
同時代の言論と社会の雰囲気がページから匂い立ってくるような興味深い記事と写真が満載です。
ああ、こりゃあ今夜も眠れない。
うそ。
このごろは雪かきの疲労ですぐ寝てしまいます。