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今年もありがとうございました。

『もういちど太宰を読もう』
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。



 
2015年の営業は今日でおしまい。
たぶん最後のお客様は関東からみえた三人ご家族ですね。
お正月は大鰐温泉で迎えるそうです。
 
金木は風のない穏やかな大晦日。
さっき屋根から落ちた雪を片付けてから閉店準備いたします。
 
皆様、今年もありがとうございました。
 
新年は1月2日から営業します。



 

きっぷ予報

『もういちど太宰を読もう』
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。
 




駐車場の前で使用済みの硬券を拾いました。

「27.12.30 津軽五所川原から 金木 ゆき」

五所川原から金木・・・雪・・・ってこんな感じです⛄

暖気して、道路の圧雪が解けてツルツルに滑り、
屋根雪がどかどか落ちてますよ。

29日に餅をつくな



『もういちど太宰を読もう』
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。

明日は斜陽館の休館日です。
当然、観光客は少ない日になるのですが、
斜陽館の休館を知らずに入口でがっくりされた方が
気を取り直して当館に流れて来てくださる、という毎年一度だけの日でもあります。

「当館は29日も開館しております。」

さっき斜陽館に案内ポスターの掲示をお願いしてきました。
今回はどうかな〜
太宰さんを訪ねて明日金木にいらっしゃる旅の方々、帰省のご家族様、お待ちいたしております。

今日は津軽鉄道の餅つきがありました。
12月29日に餅はつくな、鏡餅を飾るな、という言い伝えがあるらしいです。
31日もまたいけないとか・・・
理由は検索するといろいろ出てきますな。

昼に餅つきに参加してきた津鉄サポーターの方が
「そこの道路で滑ってこの冬初転びしちゃいました」と入ってきました。
正しく28日に尻餅もついてきたわけですね。
雪道は凍結してツルツルのところがあります。
いやはやケガが無くてよかった。

年の瀬ですな〜

メリイクリスマス

『もういちど太宰を読もう』
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。 



少し前、所用のために、ほんの数時間でしたが東京で過ごしました。
若いころに住んだ町の駅前をキョロキョロと23年ぶりに歩いたのです。

駅改札から商店街へと歩道橋が架かり、
(昭和の風情)といった公設市場のような一角は大きなショッピングビルに。
当時、再開発中だった駅通りの町並みは、空が明るくひらけてすっかりと変わっていました。
でも、確かここ・・・と横道に入ると懐かしいお店がちゃんとそのままの佇まいで頑張っていたり・・・
往来の様子を見ていると、人がのびのびと暮らしている雰囲気は変わっていないように感じました。
 

好きな太宰作品があります。主人公が疎開先の実家から、戦後に東京に戻ってきて、
「私の眼には、何の事も無い相変らずの「東京生活」のごとくに映った。」
と語りだす『メリイクリスマス』。
美しい娘さんに偶然5年ぶりに会う場面。

 

〜太宰治『メリイクリスマス』より〜

私は本屋にはいって、或る有名なユダヤ人の戯曲集を一冊買い、それをふところに入れて、
ふと入口のほうを見ると、若い女のひとが、鳥の飛び立つ一瞬前のような感じで立って私を見ていた。
口を小さくあけているが、まだ言葉を発しない。

 吉か凶か。

 昔、追いまわした事があるが、今では少しもそのひとを好きでない、
そんな女のひとと逢うのは最大の凶である。
そうして私には、そんな女がたくさんあるのだ。いや、そんな女ばかりと言ってよい。
 新宿の、あれ、……あれは困る、しかし、あれかな?

「笠井さん。」女のひとは呟くように私の名を言い、踵をおろして幽かなお辞儀をした。
 緑色の帽子をかぶり、帽子の紐を顎で結び、真赤なレンコオトを着ている。
見る見るそのひとは若くなって、まるで十二、三の少女になり、
私の思い出の中の或る影像とぴったり重って来た。

「シズエ子ちゃん。」

 吉だ。




みなさんよいクリスマスを


 

太宰治疎開の家 この冬の休館日



こちらの来館者ノートは、5年程前くらいに設置しました。
当時はまだ書いてくださる入館者の少なかったのですが、
それ以来、太宰治の書斎に座った方たちの様々な『想い』が書かれてます。

年末が近づき、寒さも雪も本番はこれからというこの頃。
この冬12月〜3月の太宰治疎開の家の休館日についてお知らせいたします。
12月     ■15日、16日、17日、21日
 1月      ■1日
 1月〜3月の ■第1と第3水曜日