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4月休館日のおしらせ

『もういちど太宰を読もう』
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。

休館日のお知らせ
■2015年4月1日〜3日 所用と館内工事のため臨時休館させていただきます。





平和を待望して居ります

『もういちど太宰を読もう』
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。

 

きょうは、三月三十日です。南京に、新政府の成立する日であります。私は、政治の事は、あまり存じません。けれども、「和平建国」というロマンチシズムには、やっぱり胸が躍ります。日本には、戦争を主として描写する作家も居りますけれど、また、戦争は、さっぱり書けず、平和の人の姿だけを書きつづけている作家もあります。きのう永井荷風という日本の老大家の小説集を読んでいたら、・・・・中略・・・・
私は、永井荷風という作家を、決して無条件に崇拝しているわけではありません。きのう、その小説集を読んでいながらも、幾度か不満を感じました。私みたいな、田舎者とは、たちの異る作家のようであります。けれども、いま書き抜いてみた一文には、多少の共感を覚えたのです。日本には、戦争の時には、ちっとも役に立たなくても、平和になると、のびのびと驥足をのばし、美しい平和の歌を歌い上げる作家も、いるのだということを、お忘れにならないようにして下さい。日本は、決して好戦の国ではありません。みんな、平和を待望して居ります。・・・・中略・・・・
 私は、政治の事は、少しも存じませんが、けれども、人間の生活に就いては、わずかに知っているつもりであります。日常生活の感情だけは、少し知っているつもりであります。それを知らずに、作家とは言われません。日本から、たくさんの作家が満洲に出掛けて、お役人の御案内で「視察」をして、一体どんな「生活感情」を見つけて帰るのでしょう。帰って来てからの報告文を読んでも、甚だ心細い気が致します。 

太宰治『三月三十日』より



昭和15年の今日、『走れメロス』を脱稿しておよそ一週間後に書かれた随筆。満州事変から大東亜戦争に向かいつつあるアジア、欧米の激動の頃に太宰さんの
筆は平和を望む心情を綴っています。



まっさん!

『もういちど太宰を読もう』
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。

まっさんの世界にどっぷりです。
小中学生の頃にラジオであの喋る喋繰る口に出会い、
その話の楽しさ、やさしさ、見る目の鋭さに感心し、
句会で教養をいただき、三国志の語り部ぶりにコーフン。
目に浮かぶような切ない歌物語にプルプルしながら
すっかりまっさんにはまったのでした。


僕の「まっさん」はさだまさし。
まっさんには「帰去来」という、太宰作品と同名のアルバムもありますが、
「風のおもかげ」というアルバムには「津軽」という曲もあって、
そのライナーノートには

「子供の頃僕は東北が大嫌いだった。じめじめと凍える土地、日陰の町。そんなイメージが悲しすぎて耐えられなかったのだ。それは僕が九州生まれだからだったろう。東北はあまりにも遠すぎ、さいはての印象しか持てなかった。」

「高木恭造さんの津軽方言詩集『まるめろ』に出会った時、僕は津軽に恋をしたのかもしれない。」

「いつか津軽が歌えたらいいと思っていた。だが手に負えなかった。」

「僕は生まれて初めて、自分の歌の中で旅人になった。津軽はやはり遠かったのだろうか。」

「多分僕はこれから今までよりも深く津軽を見つめていくのだろう。そうして、死ぬ迄に僕の内に僕の津軽を発見するのだ。ぼくは今ようやく、津軽の入口に立てたのかもしれない。」



そのまっさんが書いた物語にどっぷりです。

〜この国には古来、「不思議」が満ちていた〜京都の旧家で行われる謎の儀式を描く表題作ほか、鬼が現れるという信州の鬼宿、長崎に伝わる不老不死の石など、旅の中で出会った伝説をまっさんが語る奇譚集。

「はかぼんさん〜空蝉風土記〜」さだまさし:著 新潮社:刊

第一話 はかぼんさん 
第二話 夜神、または阿神吽神 
第三話 鬼宿 
第四話 人魚の恋 
第五話 同行三人 
第六話 崎陽神龍石



表題作の「はかぼんさん」からぐいっと引き込まれましたが、
第四話の「人魚の恋」は津軽が舞台のお話。
津軽のあなたにもおすすめまっさんワールド。


4月休館日のおしらせ

『もういちど太宰を読もう』
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。

休館日のお知らせ
■2015年4月1日〜3日 都合により臨時休館させていただきます。





将来の燭光



『もういちど太宰を読もう』
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。

まだ雪残る農地に立つと雪解け水の音だけが細く耳に流れる。
昼のおにぎりは母手製の「ばっけ味噌」でした。
ばっけとは、ふきのとうのこと。枯野から出たばかりの若芽を摘んで味噌
で和えると、冬は終わったぞという確かな、鼻腔を満たすこれは絶品の香り。
春近し。


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 信じるより他は無いと思う。私は、馬鹿正直に信じる。ロマンチシズムに
拠って、夢の力に拠って、難関を突破しようと気構えている時、よせ、よせ
、帯がほどけているじゃないか等と人の悪い忠告は、言うもので無い。信頼
して、ついて行くのが一等正しい。運命を共にするのだ。一家庭に於いても、
また友と友との間に於いても、同じ事が言えると思う。
 
信じる能力の無い国民は、敗北すると思う。だまって信じて、だまって生
活をすすめて行くのが一等正しい。人の事をとやかく言うよりは、自分の
ていたらくに就いて考えてみるがよい。私は、この機会に、なお深く自分
を調べてみたいと思っている。絶好の機会だ。


                 画像の文とも、太宰治『かすかな声』より




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