2023.11.10 Friday
2015.03.31 Tuesday
4月休館日のおしらせ
2015.03.30 Monday
平和を待望して居ります
『もういちど太宰を読もう』
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。
きょうは、三月三十日です。南京に、新政府の成立する日であります。私は、政治の事は、あまり存じません。けれども、「和平建国」というロマンチシズムには、やっぱり胸が躍ります。日本には、戦争を主として描写する作家も居りますけれど、また、戦争は、さっぱり書けず、平和の人の姿だけを書きつづけている作家もあります。きのう永井荷風という日本の老大家の小説集を読んでいたら、・・・・中略・・・・
私は、永井荷風という作家を、決して無条件に崇拝しているわけではありません。きのう、その小説集を読んでいながらも、幾度か不満を感じました。私みたいな、田舎者とは、たちの異る作家のようであります。けれども、いま書き抜いてみた一文には、多少の共感を覚えたのです。日本には、戦争の時には、ちっとも役に立たなくても、平和になると、のびのびと驥足をのばし、美しい平和の歌を歌い上げる作家も、いるのだということを、お忘れにならないようにして下さい。日本は、決して好戦の国ではありません。みんな、平和を待望して居ります。・・・・中略・・・・
私は、政治の事は、少しも存じませんが、けれども、人間の生活に就いては、わずかに知っているつもりであります。日常生活の感情だけは、少し知っているつもりであります。それを知らずに、作家とは言われません。日本から、たくさんの作家が満洲に出掛けて、お役人の御案内で「視察」をして、一体どんな「生活感情」を見つけて帰るのでしょう。帰って来てからの報告文を読んでも、甚だ心細い気が致します。
太宰治『三月三十日』より
昭和15年の今日、『走れメロス』を脱稿しておよそ一週間後に書かれた随筆。満州事変から大東亜戦争に向かいつつあるアジア、欧米の激動の頃に太宰さんの
筆は平和を望む心情を綴っています。
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。
きょうは、三月三十日です。南京に、新政府の成立する日であります。私は、政治の事は、あまり存じません。けれども、「和平建国」というロマンチシズムには、やっぱり胸が躍ります。日本には、戦争を主として描写する作家も居りますけれど、また、戦争は、さっぱり書けず、平和の人の姿だけを書きつづけている作家もあります。きのう永井荷風という日本の老大家の小説集を読んでいたら、・・・・中略・・・・
私は、永井荷風という作家を、決して無条件に崇拝しているわけではありません。きのう、その小説集を読んでいながらも、幾度か不満を感じました。私みたいな、田舎者とは、たちの異る作家のようであります。けれども、いま書き抜いてみた一文には、多少の共感を覚えたのです。日本には、戦争の時には、ちっとも役に立たなくても、平和になると、のびのびと驥足をのばし、美しい平和の歌を歌い上げる作家も、いるのだということを、お忘れにならないようにして下さい。日本は、決して好戦の国ではありません。みんな、平和を待望して居ります。・・・・中略・・・・
私は、政治の事は、少しも存じませんが、けれども、人間の生活に就いては、わずかに知っているつもりであります。日常生活の感情だけは、少し知っているつもりであります。それを知らずに、作家とは言われません。日本から、たくさんの作家が満洲に出掛けて、お役人の御案内で「視察」をして、一体どんな「生活感情」を見つけて帰るのでしょう。帰って来てからの報告文を読んでも、甚だ心細い気が致します。
太宰治『三月三十日』より
昭和15年の今日、『走れメロス』を脱稿しておよそ一週間後に書かれた随筆。満州事変から大東亜戦争に向かいつつあるアジア、欧米の激動の頃に太宰さんの
筆は平和を望む心情を綴っています。
2015.03.25 Wednesday
まっさん!
『もういちど太宰を読もう』
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。
まっさんの世界にどっぷりです。
小中学生の頃にラジオであの喋る喋繰る口に出会い、
その話の楽しさ、やさしさ、見る目の鋭さに感心し、
句会で教養をいただき、三国志の語り部ぶりにコーフン。
目に浮かぶような切ない歌物語にプルプルしながら
すっかりまっさんにはまったのでした。
僕の「まっさん」はさだまさし。
まっさんには「帰去来」という、太宰作品と同名のアルバムもありますが、
「風のおもかげ」というアルバムには「津軽」という曲もあって、
そのライナーノートには
「子供の頃僕は東北が大嫌いだった。じめじめと凍える土地、日陰の町。そんなイメージが悲しすぎて耐えられなかったのだ。それは僕が九州生まれだからだったろう。東北はあまりにも遠すぎ、さいはての印象しか持てなかった。」
「高木恭造さんの津軽方言詩集『まるめろ』に出会った時、僕は津軽に恋をしたのかもしれない。」
「いつか津軽が歌えたらいいと思っていた。だが手に負えなかった。」
「僕は生まれて初めて、自分の歌の中で旅人になった。津軽はやはり遠かったのだろうか。」
「多分僕はこれから今までよりも深く津軽を見つめていくのだろう。そうして、死ぬ迄に僕の内に僕の津軽を発見するのだ。ぼくは今ようやく、津軽の入口に立てたのかもしれない。」
そのまっさんが書いた物語にどっぷりです。
〜この国には古来、「不思議」が満ちていた〜京都の旧家で行われる謎の儀式を描く表題作ほか、鬼が現れるという信州の鬼宿、長崎に伝わる不老不死の石など、旅の中で出会った伝説をまっさんが語る奇譚集。
「はかぼんさん〜空蝉風土記〜」さだまさし:著 新潮社:刊
第一話 はかぼんさん
第二話 夜神、または阿神吽神
第三話 鬼宿
第四話 人魚の恋
第五話 同行三人
第六話 崎陽神龍石
表題作の「はかぼんさん」からぐいっと引き込まれましたが、
第四話の「人魚の恋」は津軽が舞台のお話。
津軽のあなたにもおすすめまっさんワールド。
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。
まっさんの世界にどっぷりです。
小中学生の頃にラジオであの喋る喋繰る口に出会い、
その話の楽しさ、やさしさ、見る目の鋭さに感心し、
句会で教養をいただき、三国志の語り部ぶりにコーフン。
目に浮かぶような切ない歌物語にプルプルしながら
すっかりまっさんにはまったのでした。
僕の「まっさん」はさだまさし。
まっさんには「帰去来」という、太宰作品と同名のアルバムもありますが、
「風のおもかげ」というアルバムには「津軽」という曲もあって、
そのライナーノートには
「子供の頃僕は東北が大嫌いだった。じめじめと凍える土地、日陰の町。そんなイメージが悲しすぎて耐えられなかったのだ。それは僕が九州生まれだからだったろう。東北はあまりにも遠すぎ、さいはての印象しか持てなかった。」
「高木恭造さんの津軽方言詩集『まるめろ』に出会った時、僕は津軽に恋をしたのかもしれない。」
「いつか津軽が歌えたらいいと思っていた。だが手に負えなかった。」
「僕は生まれて初めて、自分の歌の中で旅人になった。津軽はやはり遠かったのだろうか。」
「多分僕はこれから今までよりも深く津軽を見つめていくのだろう。そうして、死ぬ迄に僕の内に僕の津軽を発見するのだ。ぼくは今ようやく、津軽の入口に立てたのかもしれない。」
そのまっさんが書いた物語にどっぷりです。
〜この国には古来、「不思議」が満ちていた〜京都の旧家で行われる謎の儀式を描く表題作ほか、鬼が現れるという信州の鬼宿、長崎に伝わる不老不死の石など、旅の中で出会った伝説をまっさんが語る奇譚集。
「はかぼんさん〜空蝉風土記〜」さだまさし:著 新潮社:刊
第一話 はかぼんさん
第二話 夜神、または阿神吽神
第三話 鬼宿
第四話 人魚の恋
第五話 同行三人
第六話 崎陽神龍石
表題作の「はかぼんさん」からぐいっと引き込まれましたが、
第四話の「人魚の恋」は津軽が舞台のお話。
津軽のあなたにもおすすめまっさんワールド。
2015.03.22 Sunday
4月休館日のおしらせ
2015.03.09 Monday
将来の燭光
『もういちど太宰を読もう』
終戦直後に23作品が書かれた『太宰治疎開の家』旧津島家新座敷です。
まだ雪残る農地に立つと雪解け水の音だけが細く耳に流れる。
昼のおにぎりは母手製の「ばっけ味噌」でした。
ばっけとは、ふきのとうのこと。枯野から出たばかりの若芽を摘んで味噌
で和えると、冬は終わったぞという確かな、鼻腔を満たすこれは絶品の香り。
春近し。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
信じるより他は無いと思う。私は、馬鹿正直に信じる。ロマンチシズムに
拠って、夢の力に拠って、難関を突破しようと気構えている時、よせ、よせ
、帯がほどけているじゃないか等と人の悪い忠告は、言うもので無い。信頼
して、ついて行くのが一等正しい。運命を共にするのだ。一家庭に於いても、
また友と友との間に於いても、同じ事が言えると思う。
信じる能力の無い国民は、敗北すると思う。だまって信じて、だまって生
活をすすめて行くのが一等正しい。人の事をとやかく言うよりは、自分の
ていたらくに就いて考えてみるがよい。私は、この機会に、なお深く自分
を調べてみたいと思っている。絶好の機会だ。
画像の文とも、太宰治『かすかな声』より
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