2023.11.10 Friday
2013.03.30 Saturday
国語辞典の遊び方
太宰さんは読んだ本をあまり蔵書することがなかったけれど、
聖書と辞書はいつも傍らにあった、と何かで読んだことがあります。
作品中に時々、難解な語句が出てくると、僕も辞書を引くのですが、
平易な言葉で長々語るよりも、気の利いた二文字の熟語が、
よほど雄弁に表現するというのも、上手い作家の技巧ですね。
TBSラジオ安住紳一郎の日曜天国で、
『学校では教えてくれない!国語辞典の遊び方』の著者、
お笑い芸人・サンキュータツオさんのトークを聴きました。
国語辞典についての興味を引く面白話やトリビアの連発で、引きこまれました。
まだ本は買っていないのですが、
言葉を研究し、こだわり抜く人たちの奥深い世界を垣間見て、
笑けながらも感心しきり。
そしてサンキュウタツオさんの語りの巧みさはさすがです。
そして毎度のことですが、
テレビでよりも、ラジオで聞く絶品の安住アナウンサーのホストは
今回も素晴らしかったです。
我が家にも息子たちが買って使わなくなった電子辞書がありますが、
紙の辞書のほうがどうしても頼りになる父。
未だに高校時代からの旺文社の国語辞典を使っています。
こんなに時間が経っても、まだきれいです(^^;)
太宰さんが愛用した、使い倒した辞書はどんなだったんでしょう。
聖書と辞書はいつも傍らにあった、と何かで読んだことがあります。
作品中に時々、難解な語句が出てくると、僕も辞書を引くのですが、
平易な言葉で長々語るよりも、気の利いた二文字の熟語が、
よほど雄弁に表現するというのも、上手い作家の技巧ですね。
TBSラジオ安住紳一郎の日曜天国で、
『学校では教えてくれない!国語辞典の遊び方』の著者、
お笑い芸人・サンキュータツオさんのトークを聴きました。
国語辞典についての興味を引く面白話やトリビアの連発で、引きこまれました。
まだ本は買っていないのですが、
言葉を研究し、こだわり抜く人たちの奥深い世界を垣間見て、
笑けながらも感心しきり。
そしてサンキュウタツオさんの語りの巧みさはさすがです。
そして毎度のことですが、
テレビでよりも、ラジオで聞く絶品の安住アナウンサーのホストは
今回も素晴らしかったです。
我が家にも息子たちが買って使わなくなった電子辞書がありますが、
紙の辞書のほうがどうしても頼りになる父。
未だに高校時代からの旺文社の国語辞典を使っています。
こんなに時間が経っても、まだきれいです(^^;)
太宰さんが愛用した、使い倒した辞書はどんなだったんでしょう。
2013.03.28 Thursday
院長先生のお宅
少し暖かい、春かな、と感じられる日でした。
先日、新座敷のことがNHK青森の番組で放送されてから、
青森県内のお客様が興味を持って見学に来るようになっていたのですが、
今日は、太宰の姪の陽さんと同級生という、88歳のおばあちゃんがみえました。
津島家に15、6歳の頃、奉公していた(1940年頃ということですね)方です。
放送で「津島家の離れ」と聞いて、懐かしくて来てみたということです。
見学しながら、米ヌカで廊下を磨いた思い出話をしつつ、
「でも???間取りがみんな変わってしまった・・・」と言うのです。
詳しくお話を聞いてみると、ベランダとか子供部屋とか、
どうやらここには無い造りの部屋の話ばかり。
やがて「院長先生の家」と聞いて、理由が判明しました。
「カアさんが覚えているのは、これではないですか?」
実は、津島家の敷地にはかつて、もうひとつ離れがあったのです。
図面を見せると、
「ああ、これだこれだ!」
その金木病院の院長のためにあった邸宅を、僕は子供の頃に見たことがあります。
残念ながら、実際の建物はもう存在しないのですが、
新座敷よりも大きく、部屋数も7室ある、変わった間取りの家でした。
「そんだそんだ、玄関はここで、これがベランダで、ここが客間だ・・・」
おばあちゃんは、図面を指で辿ってうれしそうに見ていました。
凍るような水で水仕事をしたこと
使用人は玄関を使わなかったこと
奥様のお供で初めて東京を見たこと
みんな遠い思ひ出になりました。
先日、新座敷のことがNHK青森の番組で放送されてから、
青森県内のお客様が興味を持って見学に来るようになっていたのですが、
今日は、太宰の姪の陽さんと同級生という、88歳のおばあちゃんがみえました。
津島家に15、6歳の頃、奉公していた(1940年頃ということですね)方です。
放送で「津島家の離れ」と聞いて、懐かしくて来てみたということです。
見学しながら、米ヌカで廊下を磨いた思い出話をしつつ、
「でも???間取りがみんな変わってしまった・・・」と言うのです。
詳しくお話を聞いてみると、ベランダとか子供部屋とか、
どうやらここには無い造りの部屋の話ばかり。
やがて「院長先生の家」と聞いて、理由が判明しました。
「カアさんが覚えているのは、これではないですか?」
実は、津島家の敷地にはかつて、もうひとつ離れがあったのです。
図面を見せると、
「ああ、これだこれだ!」
その金木病院の院長のためにあった邸宅を、僕は子供の頃に見たことがあります。
残念ながら、実際の建物はもう存在しないのですが、
新座敷よりも大きく、部屋数も7室ある、変わった間取りの家でした。
「そんだそんだ、玄関はここで、これがベランダで、ここが客間だ・・・」
おばあちゃんは、図面を指で辿ってうれしそうに見ていました。
凍るような水で水仕事をしたこと
使用人は玄関を使わなかったこと
奥様のお供で初めて東京を見たこと
みんな遠い思ひ出になりました。
2013.03.23 Saturday
しらはるの大栗
「かなぎ」かだるべらりーマップは、
町の商店で津軽弁のお話が聞けるお楽しみマップです。
ここに「お菓子のしらはる」というお店が載っています。
この通りで50年続く老舗です。
僕はしらはるの昆布羊羹が好きなのですが、
の、イチオシ名物『大栗』とはどんな菓子か?
太宰文学碑がデザインされているコレです。
白あんと栗の粒が詰まっている、直径6cmくらいの大きな栗の姿のまんじゅう。
ボリュームあります。
今風のおしゃれスイーツではない。
あ〜〜!と、なつかしい味がします。
せっかく太宰のふるさとを訪ねたら、
金木で長く愛されたお菓子屋さんの名物まんじゅうを食べてみてください。
きっと、太宰がいた時代に通じるノスタルジアを感じられます。
そして隠れたプレミア・・・
「しらはる」で箱菓子を買うと、昔ながらの包み紙がちょっとイイです。
広げると、
小説『津軽』のために太宰が画いた、津軽圏ノ図を模した大きな地図になっているのですよ。
気付くとうれしい。
先日の暴風で、外壁に高く掲げられていた看板が破壊されてしまいました。
70代の店主が、おらの代で店は終わりだからと、看板の新調に悩んでいたので、
僕が看板を書いてあげることにしたのですが、
この店の屋号はあるのかと聞いたら、
今は使っていないが「ヤマハル」だと教えてくれました。
太宰さんの生家は、ヤマ形の下に源で「ヤマゲン」
しらはるはヤマ形の下に治でヤマハル・・・あら〜「治」じゃないですか!
先代の名は「治光」、今の店主は「誠治」
太宰を訪ねる旅の方、しらはるで治に逢いましょう。
「かなぎ」かだるべらりーまっぷについて
お問い合わせ:かなぎ元気倶楽部 0173−54−1616
町の商店で津軽弁のお話が聞けるお楽しみマップです。
ここに「お菓子のしらはる」というお店が載っています。
この通りで50年続く老舗です。
僕はしらはるの昆布羊羹が好きなのですが、
の、イチオシ名物『大栗』とはどんな菓子か?
太宰文学碑がデザインされているコレです。
白あんと栗の粒が詰まっている、直径6cmくらいの大きな栗の姿のまんじゅう。
ボリュームあります。
今風のおしゃれスイーツではない。
あ〜〜!と、なつかしい味がします。
せっかく太宰のふるさとを訪ねたら、
金木で長く愛されたお菓子屋さんの名物まんじゅうを食べてみてください。
きっと、太宰がいた時代に通じるノスタルジアを感じられます。
そして隠れたプレミア・・・
「しらはる」で箱菓子を買うと、昔ながらの包み紙がちょっとイイです。
広げると、
小説『津軽』のために太宰が画いた、津軽圏ノ図を模した大きな地図になっているのですよ。
気付くとうれしい。
先日の暴風で、外壁に高く掲げられていた看板が破壊されてしまいました。
70代の店主が、おらの代で店は終わりだからと、看板の新調に悩んでいたので、
僕が看板を書いてあげることにしたのですが、
この店の屋号はあるのかと聞いたら、
今は使っていないが「ヤマハル」だと教えてくれました。
太宰さんの生家は、ヤマ形の下に源で「ヤマゲン」
しらはるはヤマ形の下に治でヤマハル・・・あら〜「治」じゃないですか!
先代の名は「治光」、今の店主は「誠治」
太宰を訪ねる旅の方、しらはるで治に逢いましょう。
「かなぎ」かだるべらりーまっぷについて
お問い合わせ:かなぎ元気倶楽部 0173−54−1616
2013.03.15 Friday
かなぎかだるべらりー
太宰が生まれた町を旅するのに、町内のおじさんおばさんの温かい
津軽弁に出会えるラリーマップが登場しました。
それが『かなぎかだるべらりーまっぷ』
〈かだるべ〉は、語り合おう/一緒にやろう、という意味の方言です。
金木には太宰がいた頃からある菓子や、実は地元の人しか知らない
名物がそこかしこにあります。お店のおじさんおばさんに津軽弁の
合言葉を聞いて回りながらおもしろ話が聞けたり、町の歴史に触れ
たり…普通の観光名所巡りでは味わえない旅をしたいならコレです。
ゴールが斜陽館か津軽三味線会館となっていて、入館料の割引とかわいいプレゼント
が特典ですから、ゆったりのんびり旅の方はやらない手はありません!
予想される所要時間は、ささっと回れば30分〜お食事も入れて120分程度です。
マップに書いてあるお薦めルート例では『太宰治疎開の家』がスタートに
なっていますから、ぜひご参考に。
マップは五所川原市内の観光施設や津軽鉄道乗車、金木町の各参加店で手に入ります。
「かなぎ」かだるべらりーまっぷについて
お問い合わせ:かなぎ元気倶楽部 0173−54−1616
2013.03.11 Monday
大震災のあとに
「日本の人が皆こんなあやつり人形みたいなへんてこな歩きかたをするようになったのは、いつ頃からの事かしら。ずっと前からだわ。だぶん、ずっとずっと前からだわ」
第二次大戦直後に書かれた太宰治の戯曲『冬の花火』の主人公のセリフです。
天皇万歳と言って国民を戦争へと先導した政治やマスコミが、敗戦後には同じ口で民主主義を語る。そうして右と言えば右、左と言えば左へ皆が同じ方を向く日本人の性質を太宰は苦々しく見ていました。
自民→民主→自民と政権が変わるそれぞれの前後にマスコミは何を言ったのか、そして私たちはどう動いたのか。
2年前の震災、原発事故で見た「欺瞞の崩壊」の直後と今、マスコミは何を伝えたのか、
さて私たちはどっちを(向かされて)向いているのか。
つまり自分には、人間の営みというものが未だに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾し、呻吟し、発狂しかけた事さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。(人間失格)
右へ→左へ
太宰は相変らぬ日本人の姿に深く失望し、声高に語られる「正しさ」や「理想」をすべて疑い、この敵と戦うために叫びました。
「さあ、日本の指導者たち、あたしたちを救って下さい。出来ますか、出来ますか。」
(冬の花火)