2023.11.10 Friday
2012.12.30 Sunday
2012年の最後の営業日
今まで生きてきた。だから明日も生きられると、考えるのは大きな錯覚である。
今年も大勢の人がこの世に別れを告げた。明日が私の番ではないと、誰も言うことはできない。
どの人もどの人もイイ感じの印象的なお客様たちを見送って、
太宰治疎開の家は今日で2012年の営業を終えることができました。
でも、
僕と疎開の家を支えてくれた、大切な人を失くした年末になりました。
あなたがたは、しばらくの間現れては消えてしまう霧にすぎません。(ヤコブの手紙四章より)
さまざまな思いが浮かんできますが、ああ、
自分のその日がいつかはわからないのだから、
もっと一日を大切に生きなくては。
明日31日はお休みになり、新年は元旦から営業します。
どうぞ、どうかよいお年を。
今年も大勢の人がこの世に別れを告げた。明日が私の番ではないと、誰も言うことはできない。
どの人もどの人もイイ感じの印象的なお客様たちを見送って、
太宰治疎開の家は今日で2012年の営業を終えることができました。
でも、
僕と疎開の家を支えてくれた、大切な人を失くした年末になりました。
あなたがたは、しばらくの間現れては消えてしまう霧にすぎません。(ヤコブの手紙四章より)
さまざまな思いが浮かんできますが、ああ、
自分のその日がいつかはわからないのだから、
もっと一日を大切に生きなくては。
明日31日はお休みになり、新年は元旦から営業します。
どうぞ、どうかよいお年を。
2012.12.15 Saturday
「太宰治疎開の家」年末年始の営業予定
雨と気温のために雪が消えて、中休みといった感じの昨日と今日でした。
さて、ホームページ『太宰屋』では月初からお知らせしておりましたが、
ブログではまだ報告していませんでした。
太宰治疎開の家『旧津島家新座敷』の2012〜2013 年末年始の営業予定を以下に。
☆12月25・26・27・31日休館
☆新年は元日より開館
毎年、当館では元旦は休館になっているのですが、
意外にもお正月に旅行される方がすごく多いらしく、
斜陽館は毎年元旦も営業していて賑わうそうです。
当館も今年は倣って開館することにいたしました。
その代わり、12月25日からの3日間と31日はお休みとなります。
また、22日は所用のため、午前中のみ開館しております。
旅行予定がある方はご承知くださいませ。
さて、ホームページ『太宰屋』では月初からお知らせしておりましたが、
ブログではまだ報告していませんでした。
太宰治疎開の家『旧津島家新座敷』の2012〜2013 年末年始の営業予定を以下に。
☆12月25・26・27・31日休館
☆新年は元日より開館
毎年、当館では元旦は休館になっているのですが、
意外にもお正月に旅行される方がすごく多いらしく、
斜陽館は毎年元旦も営業していて賑わうそうです。
当館も今年は倣って開館することにいたしました。
その代わり、12月25日からの3日間と31日はお休みとなります。
また、22日は所用のため、午前中のみ開館しております。
旅行予定がある方はご承知くださいませ。
2012.12.08 Saturday
十二月八日
「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。」
もう百年ほど経たって日本が紀元二千七百年の美しいお祝いをしている頃に、私の此この日記帳が、どこかの土蔵の隅から発見せられて、百年前の大事な日に、わが日本の主婦が、こんな生活をしていたという事がわかったら、すこしは歴史の参考になるかも知れない。
太宰治「十二月八日」より
1941年12月8日は太平洋戦争における戦闘行動開始の日。
太宰治「十二月八日」は、その日を迎えた日本家庭の様子を綴っていますが、のほほんとした太宰夫妻の会話が、その後の悲惨を知っている私たちには、逆に気味の悪い怖さを感じさせます。
作品の中で妻が聞いていた12月8日のラジオ放送はどんな風だったのか、
太平洋戦争開戦時のラジオ放送を解説している記事を読みました。
識者は「戦争は最後の外交手段」といいますが、いったん始まれば、平和を望む小市民であっても否応無くのみこまれていきます。
敗戦後の復興を経て久しく、今では平和ボケと言われる日本。戦争を体験していない世代には、集団的自衛権という言葉が含んでいる想定にもリアリティーを感じられず、ピンと来ない気がします。だから、ほんの数十年前までこの国にあった時代の空気、軍の暴走と破滅への道を改めて知ることは大事なことです。
日本の行く道を考えるのに大事なこの頃。12月8日の記念日に、マスコミは何を伝えて、何を伝えないのか。
将来にわたって日本が他国に火を点ける立場になってはいけないということを考えたいと思います。
もう百年ほど経たって日本が紀元二千七百年の美しいお祝いをしている頃に、私の此この日記帳が、どこかの土蔵の隅から発見せられて、百年前の大事な日に、わが日本の主婦が、こんな生活をしていたという事がわかったら、すこしは歴史の参考になるかも知れない。
太宰治「十二月八日」より
1941年12月8日は太平洋戦争における戦闘行動開始の日。
太宰治「十二月八日」は、その日を迎えた日本家庭の様子を綴っていますが、のほほんとした太宰夫妻の会話が、その後の悲惨を知っている私たちには、逆に気味の悪い怖さを感じさせます。
作品の中で妻が聞いていた12月8日のラジオ放送はどんな風だったのか、
太平洋戦争開戦時のラジオ放送を解説している記事を読みました。
識者は「戦争は最後の外交手段」といいますが、いったん始まれば、平和を望む小市民であっても否応無くのみこまれていきます。
敗戦後の復興を経て久しく、今では平和ボケと言われる日本。戦争を体験していない世代には、集団的自衛権という言葉が含んでいる想定にもリアリティーを感じられず、ピンと来ない気がします。だから、ほんの数十年前までこの国にあった時代の空気、軍の暴走と破滅への道を改めて知ることは大事なことです。
日本の行く道を考えるのに大事なこの頃。12月8日の記念日に、マスコミは何を伝えて、何を伝えないのか。
将来にわたって日本が他国に火を点ける立場になってはいけないということを考えたいと思います。
2012.12.06 Thursday
荒天でした
暴風雪に警戒の天気予報。
昼には強風で店のノボリが倒れたり
覚悟はしていましたが、鉄道の運休などがあり、大変静かな新座敷でした。
津軽地方の中でも、地域によって雪の降り方は全然違います。
夜、蕎麦を食べに車で出かけました。
金木では積雪ゼロでしたが、五所川原、木造、鶴田、板柳と、
弘前に近づくにしたがって真冬の雪景色になっていきました。
蒔ストーブと囲炉裏の暖かい店で蕎麦をいただき、
外に出ると車の上にはすでに5センチくらい雪がのっていました。
帰り道は、ワイパーフルスイングの横殴りの本格的な吹雪です。
そうして金木に帰ってきたら、
まったく降らなかったみたい。
嘘みたいに道路が乾いているのです。
明日も風は強そうです。
被害がないように祈ります。
昼には強風で店のノボリが倒れたり
覚悟はしていましたが、鉄道の運休などがあり、大変静かな新座敷でした。
津軽地方の中でも、地域によって雪の降り方は全然違います。
夜、蕎麦を食べに車で出かけました。
金木では積雪ゼロでしたが、五所川原、木造、鶴田、板柳と、
弘前に近づくにしたがって真冬の雪景色になっていきました。
蒔ストーブと囲炉裏の暖かい店で蕎麦をいただき、
外に出ると車の上にはすでに5センチくらい雪がのっていました。
帰り道は、ワイパーフルスイングの横殴りの本格的な吹雪です。
そうして金木に帰ってきたら、
まったく降らなかったみたい。
嘘みたいに道路が乾いているのです。
明日も風は強そうです。
被害がないように祈ります。
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