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オーケストラ!



映画「オーケストラ!」


1980年ロシア・ボリショイ交響楽団からユダヤ人が連行され、それに反抗した天才指揮者のアンドレイも楽団を解雇されてしまう。アンドレイはいつか再びタクトを振る日を夢見て、それから30年ものあいだボリショイ劇場の清掃員として働いていたが、ある日パリのシャトレ座から送られてきた楽団への出演依頼を見つけ、秘かに偽のオーケストラを結成することを思いつく。彼を行動に駆り立てる心の中には秘めた目的があった。

主演:ロシアの名優アレクセイ・グシコフ
共演:「イングロリアス・バスターズ」のメラニー・ロランほか






ラッキーたいへんよろしい映画でありました拍手拍手拍手拍手拍手


BS2 太宰治短編小説集第3シリーズ

今晩からBS2で楽しみな新シリーズが始まります。


● 「太宰治短編小説集 第3シリーズ」
 9月27日(月)〜9月29日(水)午後10:35〜11:00

「駈込み訴え」
9月27日(月) 午後10:35〜11:00 
太宰治の名作短編を映像化する「太宰治短編小説集」。今回は「駈込み訴え」(1940年)。 映画監督・西川美和が現代日本を舞台に映像化。

【出演】香川照之、清水くるみ、日南響子 ほか



 <放送予定>
 9月28日(火)
 「カチカチ山」 
 戦後すぐに発表した『お伽草紙』中の一篇。
  【出演】満島ひかり、皆川猿時、菅原永二 ほか 
 9月29日(水)
 「グッド・バイ」  (1948年)
 切り絵をアニメ化するという斬新な手法で映像化。
  【出演】UA



十五夜 今日は見えません

私は早くから服装に関心を持っていたのである。シャツの袖口にはボタンが付いていないと承知できなかった。白いフランネルのシャツを好んだ。襦袢の襟も白くなければいけなかった。えりもとからその白襟を一分か二分のぞかせるように注意した。十五夜のときには、村の生徒たちはみんな晴衣を着て学校へ出て来るが、私も毎年きまって茶色の太い縞のある本ネルの着物を着て行って、学校の狭い廊下を女のようになよなよと小走りにはしって見たりするのであった。私はそのようなおしゃれを、人に感付かれぬようひそかにやった。うちの人たちは私の容貌を兄弟中で一番わるいわるい、と言っていたし、そのような悪いおとこが、こんなおしゃれをすると知られたら皆に笑われるだろう、と考えたからである。私は、かえって服装に無関心であるように振舞い、しかもそれは或る程度まで成功したように思う。誰の眼にも私は鈍重で野暮臭く見えたにちがいないのだ。私が兄弟たちとお膳のまえに座っているときなど、祖母や母がよく私の顔のわるい事を真面目に言ったものだが、私にはやはりくやしかった。私は自分をいいおとこだと信じていたので、女中部屋なんかへ行って、兄弟中で誰が一番いいおとこだろう、とそれとなく聞くことがあった。女中たちは、長兄が一番で、その次が治ちゃだ、と大抵そう言った。私は顔を赤くして、それでも少し不満だった。長兄よりもいいおとこだと言って欲しかったのである。

                                 太宰治「思い出」より




「十五夜」
僕が子供の頃に比べても、その祝い方は薄まっているし

「思い出」の太宰が子供の時代には
「十五夜のときには、村の生徒たちはみんな晴衣を着て学校へ」
だったというところをみても

行事としての十五夜の魂は風前の灯かもしれません。



年中同じ野菜果物が食べられて、全国の情報がテレビで見られて、どこへも簡単に移動できて・・・
祭りも生活様式も、世の中が便利になるにしたがって、均一化。
商業化されて仕掛けられたイベントは年中続いて
特別感が昔ほど感じられなくなってるんですね。



今晩、津軽地方で月が見えなくても、どこかの月がテレビに映る。

思い出にも残らない特別でない夜。



待ち遠しさも残念さも薄まっていくのは、
ちょっともったいない気がしています。





敬老の日

2年前に来館してくださった方がまた訪ねてくれました。

今でもわかりにくい外見の新座敷ですが、
公開して間もない頃は、看板は手書きでもっと地味で、
受付だってギフトショップの中でしていたので、
まったく観光施設の体をなしていなかったのに・・・

ああ、よくぞ入ってくれたもんだ

と、振り返って思います。


そんなありがたいお客様に良い印象をもってもらえて
また訪ねてくださるとは本当にうれしかった。




敬老の日。

ちちははに何か贈り物をしながら、

なんでこの日が敬老の日で、
そもそも祝日とか祭日とか、
国が定めた日がどうして休日か、
そんなことが昔から気になっています。



「みどりの日」なんてよくわからない祝日。
カレンダーの赤文字がだんだんと増えているところをみると、


どうにかして国民に働かないで散財してほしい
という理由の祝日もあるようで、

これはいやらしい気もします。




敬老の気持ちや自然を大切にする気持ちは
それは良いものに違いないのですが、



その日でなければならないというさしたるワケもなく
それを表現する日を定めて、
さあ皆さんで一緒に盛り上げましょう!



感謝の気持ちはそういうものか・・・







ああそうか・・・
皆で一緒に! というところが運営上重要なんですなひらめき




父母に贈り物をしながら、
校則に疑問をもつ生徒みたいなことを書きました。


いやいや、祝日祭日はそんなもんです。
平和な国日本のお休みを楽しみましょう
ラッキー



ア、秋

本職の詩人ともなれば、いつどんな注文があるか、わからないから、常に詩材の準備をして置くのである。
「秋について」という注文が来れば、よし来た、と「ア」の部の引き出しを開いて、愛、青、赤、アキ、いろいろのノオトがあって、そのうちの、あきの部のノオトを選び出し、落ちついてそのノオトを調べるのである。



 トンボ。スキトオル。と書いてある。
 秋になると、蜻蛉(とんぼ)も、ひ弱く、肉体は死んで、精神だけがふらふら飛んでいる様子を指して言っている言葉らしい。蜻蛉のからだが、秋の日ざしに、透きとおって見える。
 秋ハ夏ノ焼ケ残リサ。と書いてある。焦土である。
 夏ハ、シャンデリヤ。秋ハ、燈籠。とも書いてある。
 コスモス、無残。と書いてある。
 いつか郊外のおそばやで、ざるそば待っている間に、食卓の上の古いグラフを開いて見て、そのなかに大震災の写真があった。一面の焼野原、市松の浴衣着た女が、たったひとり、疲れてしゃがんでいた。私は、胸が焼き焦げるほどにそのみじめな女を恋した。おそろしい情慾をさえ感じました。悲惨と情慾とはうらはらのものらしい。息がとまるほどに、苦しかった。枯野のコスモスに行き逢うと、私は、それと同じ痛苦を感じます。秋の朝顔も、コスモスと同じくらいに私を瞬時窒息させます。
 秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。と書いてある。
 夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。耳を澄まして注意をしていると、夏になると同時に、虫が鳴いているのだし、庭に気をくばって見ていると、桔梗の花も、夏になるとすぐ咲いているのを発見するし、蜻蛉だって、もともと夏の虫なんだし、柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。
 秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。僕くらいの炯眼(けいがん)の詩人になると、それを見破ることができる。家の者が、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに思う。もう秋が夏と一緒に忍び込んで来ているのに。秋は、根強い曲者(くせもの)である。



                                      太宰治「ア、秋」より




写真は新座敷の庭のトンボ


急に朝が涼しくなり、
トンボも弱り始めたみたいです。

うまく飛べなくなったのがときどきお店に迷い込んで
じっとしています。