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桜桃



6月19日 桜桃忌に桜桃は間に合わず、

さらに実の付きもいまひとつでした。

成ってるときに雨が続いて、

写真もないのでイラストで。



桜桃忌という言葉はおなじみでも

桜桃を読んだ人は案外に多くない気がする。



サクランボの味に憂いを与えたこの題名も

太宰さんが残したものです。



イキツクヒマ

以前よりも入館者が少しずつ多くなってきて
そうしてみると、お客様があまり来ない時間帯も見えてきました。

以前はおおよそ四六時中少なかったということです・・・



今週、JRの大人の休日倶楽部が始まって
リュックサックを背負った旅人が急に増えました。
通りがカラフルでにぎやかです。

明日はどうかな。

太宰治・母なる津軽朗読会6月19日ありがとう

きのう、太宰さんの誕生日に
いろいろに関わってくださったみなさんのおかげで
題名の朗読会を無事に開催することができました。


穏やかに晴れた生誕祭の日
16時頃に鎌田紳爾さんと原きよさんが同時に到着。




予約を入れてくれたお客さんも静かに集まり始めました。

告知が遅かったので不安だった空席も、
前日、当日の申し込みが入り、
願っていたように結果的にちょうど満席に。


朗読会は
「太宰治・母なる津軽」がテーマ

太宰の母語津軽語。
鎌田さんが津軽弁をフランス語風に話して笑いを誘いながら、
「走っけろメロス」は穏やかに始まります。





やがて情感たっぷりに怒涛のようにたたみかける熱い語りは
朗読というよりも舞台を観るようです。
最後のシーンでは涙ぐむお客様もチラホラ。



太宰さんがもし聴いたら絶対に喜ぶであろう、
津軽語を誇りたくなる素晴らしい語りでした。



休憩をはさんで第二部は僕のトークから。

かつてこの新座敷を建てた、津島家出入りの大工の子孫が
会場に数人来ていることを紹介して
太宰さんのご縁でここに集まったお客様と
出演者みなさんに感謝しながら、
主催者はとてもとても感慨深くなりました。



そして原きよさんの朗読「故郷」
昭和17年、重体の母を見舞うために、妻子と共に
義絶された生家を訪れる太宰と津島家のエピソード。



太宰さんの複雑な心境に寄り添いながら
この部屋であった津島家の物語を見ているような体験。
原さんの心の中の太宰さんへの想いが伝わってくるようです。


最後のトークで原さんは
この場所にいる喜びにグッとなって涙、涙 (泣き虫)
ほんとに太宰さんの存在を感じてるんです。




朗読会終了後、
拍手と温かい感想を僕に残して帰られた、
みなさんに心から感謝いたします。


ここに流れが集まって
生誕101年の今という時でなければあり得ない
とても幸せな朗読会でした。

 

太宰さんのご縁 6月19日朗読会その3

当たりまえにある現在の出来事が
逆を辿っていくと奇跡的な偶然が重なって成ったことに思い至る。

ここで日々そんな縁を感じています。


今回の朗読会もどうやら
奇跡的なご縁で実現することになりました。



太宰さんという「一人」が生きたことが
つながりつながり、まだまだつながる。

そして太宰さんが生まれる以前にあった歴史や
地縁血縁にまで光が当たっていく。

どれか一つが欠けたら繋がることなく途絶えていたかもしれない、
と思うと、
これはやはり不思議な縁を感じるでしょう。


たとえば斜陽館が戦災で無くなっていたら。
たとえば「津軽」が書かれていなかったら。



今日ここで出会う人は誰一人、
生涯顔を合わせることがなかったかもしれない。


原きよさんが三鷹で太宰を読むことも
鎌田紳爾さんが津軽語訳走れメロスを語ることも

ましてや二人が新座敷に揃うこともあり得無かったわけです。



さて、もう少しだけ、
たぶんあなたの分のお席が空いています。


その奇跡の朗読会の参加者に

あなたもなれるのですが。





2010年6月19日(土) 16:50〜18:50

    生誕101年記念トーク&朗読会
   太宰治・母なる津軽
〜メロスと故郷〜 in 太宰治疎開の家



6月19日に朗読会その2

2010年6月19日(土) 16:50〜18:50

    生誕101年記念トーク&朗読会
   太宰治・母なる津軽
〜メロスと故郷〜 in 太宰治疎開の家





ポスターやHPを見て予約の電話が集まってきました。
昨年の参加者からもラッキー



太宰さんの誕生日の夕暮れに
太宰さんがいた空間で過ごしませんか。



あと一週間後です。