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別れの季節

昨日は息子が通った中学の先生の送別会がありました。

お世話になった感謝を感じながら、
人との関係の儚さに胸がつまる気分でした。

3月の終りは別れの季節でもあります。

進学、就職、転勤・・・
ここから別の世界に入っていく境の日です。


太宰さんの「正義と微笑」に、
思い熱い黒田先生の別れの言葉があります。




太宰治 正義と微笑より抜粋

或る英語の時間に、先生は、リア王の章を静かに訳し終えて、それから、だし抜けに言い出した。がらりと語調も変っていた。噛んで吐き出すような語調とは、あんなのを言うのだろうか。とに角、ぶっきら棒な口調だった。それも、急に、なんの予告もなしに言い出したのだから僕たちは、どきんとした。
「もう、これでおわかれなんだ。はかないものさ。実際、教師と生徒の仲なんて、いい加減なものだ。教師が退職してしまえば、それっきり他人になるんだ。君達が悪いんじゃない、教師が悪いんだ。じっせえ、教師なんて馬鹿野郎ばっかりさ。男だか女だか、わからねえ野郎ばっかりだ。こんな事を君たちに向って言っちゃ悪いけど、俺はもう、我慢が出来なくなったんだ。教員室の空気が、さ。無学だ! エゴだ。生徒を愛していないんだ。俺は、もう、二年間も教員室で頑張って来たんだ。もういけねえ。クビになる前に、俺のほうから、よした。きょう、この時間だけで、おしまいなんだ。もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生わすれないで覚えているぞ。君たちも、たまには俺の事を思い出してくれよ。あっけないお別れだけど、男と男だ。あっさり行こう。最後に、君たちの御健康を祈ります。」すこし青い顔をして、ちっとも笑わず、先生のほうから僕たちにお辞儀をした。
 僕は先生に飛びついて泣きたかった。
「礼!」級長の矢村が、半分泣き声で号令をかけた。六十人、静粛に起立して心からの礼をした。
「今度の試験のことは心配しないで。」と言って先生は、はじめてにっこり笑った。
「先生、さよなら!」と落第生の志田が小さい声で言ったら、それに続いて六十人の生徒が声をそろえて、
「先生、さよなら!」と一斉に叫んだ。
 僕は声をあげて泣きたかった。
 黒田先生は、いまどうしているだろう。ひょっとしたら出征したかも知れない。まだ三十歳くらいの筈だから。




きっと混乱するゆとり教育の転換
大人たちもどこに向かっているんだかわからない社会

こんなふうに伝え、受け止める師弟の関係に
ちょっと羨ましくなります。 



明日から一歩を踏み出す方に
光があたりますように。


まだまだ!の雪



風が冷たい日だな〜

思うとまもなく細かい雪が降ってきて
あっという間に看板が白くなりました

夕方になるにつれ どんどん冷えがきつくなって
土曜でも静かだった新座敷




閉館時間を過ぎてから

「昔ここに新座敷があったんですか?」

おずおずと カメラと三脚を持って男性がドアを開けました


「いえいえ、今も新座敷はこの建物の奥にあるんですよ」


このお客様は九州男児

寒かったでしょう〜たらーっ




どうやら今晩は−6℃にまでなるようです

真冬の気温ですよ雪


心の旅

朝から気持ち良い青空で
岩木山も凡珠山脈もいよいよくっきりと。
田んぼの雪もまばらにしか無くなりました。


今日のお客様は
秋田から、京都・大阪から、神奈川から。



受付で新座敷と太宰さんのお話を聞いていただき
まだ肌寒い新座敷の各部屋へ。

「あとはご自由に」と言って僕はお店に戻るのですが

この後、みなさん案外に長いんです。(寒いのに)


新座敷の静かな空間にいて、
かつての太宰さんの目線を体験したり、

自分との対話が はじまってしまうのかも。



築87年の古い屋敷に看板付けただけ・・・と
通り過ごした方たちには見えたかもしれません。


でも、見学後のお客様はホッと顔がゆるんで受付に帰ってきます。

「なんかおもしろかった〜」



僕もホッと嬉しくなる瞬間です。

今日も来ていただいてありがとうございました。








心の旅といえばThe Darjeeling Limited

ネクタイ

先日、太宰OOOOO委員会で、
「写真撮影があります」との連絡。


いつもの会議なら 仕事上がりそのままの普段着ですが、

わざわざ集合写真を撮る・・・

では、きちんと身支度をしましょう、と
着替えてネクタイ締めて会場に向かいました。


ところが、ドアを開けるとみなさん 僕を見て笑うのです。

ネクタイを締めてる方はほかにもいるのですが
いつもはシャツにジーパンの僕がネクタイ締めてるのは
どうやらおかしいらしい。

「おいおい、どこかのお通夜かと思ったよたらーっ
なんて

きちんとして笑われるのもなんだか変な気持ちですが
(僕だけ場違いに気張っていたという次第ですね)

コクボ君のように怒られたわけじゃないので
これは良しとしておくれニコニコ


新聞に載せるための写真だそうです。
眼鏡をかけたし 少しは賢く見えるかしら。
 



太宰さんの晩年の作品に「女類」というのがあって、
赤いネクタイをけなされる場面があります。



以下抜粋


「すると、君は編輯部長か。つまり、伊藤の兄貴分なのだね。僕は、君を、うらむ。なぜ、こうなる前に、君は伊藤に忠告しなかったんだ。へっぽこ部長だ、お前は。かえって、伊藤をそそのかしたんじゃないか。どだい、その、赤いネクタイが気に食わん。」
 しかし、柳田は平然と微笑し、
「ネクタイは、すぐに取りかえます。僕も、これは、あまり結構ではないと思っていたんです。」
「そう、結構でない。そう知りながら、どうして伊藤に忠告しなかったんだ。忠告を。」
「いいえ、ネクタイの事です。」
「ネクタイなんか、どうだっていい。お前の服装なんか、どうだってかまやしない。問題は、僕が伊藤と絶交するという事だけなんだ。それだけだ。あともう、言う事は無い。失敬する。みんな馬鹿野郎ばっかりだ。」
 言い捨てて勘定も払わず蹌踉と屋台から出て行きます。〜




女類と男類と猿類・・・

ネクタイがテーマの話じゃありません。
ネクタイなんか、どうだっていいんです 念のため。

つづきは本編で
本



〜にもほどがある

「バラシュッパネ」


は? なんて言った?

これは ある日次男が父に言った言葉。


集中力を高めるのにはバラの香りで眠るのが良い
と、少し前にテレビで言ってたので
おもしろがって次男の部屋にバラのポプリを置いた次の日でした。


「オット−ワノヘヤバラシュッパネ」


前半は津軽弁です 「おっ父、俺の部屋・・・」
しかしバラシュッパネは二度聞き返しても??
わからん。


正解訳は
「バラの:臭いが:半端じゃねえ(ほどキツイ)」 でした。



お〜なるほど!拍手



高校入学を前に
さては父の知らない外国語を駆使するようになったか、
と思いきや

日本言語は急激に進化しているもようです。