小泊の夕焼け

小泊沖の夕焼け。ひと月前が立秋で、この時期に34℃は珍し。

 

夏のおまけの海風ゆれるすすきの穂ほんとかと思うもうすぐ十五夜。

 

 

 

 

 

 

 

 

休館日おしらせ

 

太宰治疎開の家 2019年9月4日(水)は休館日です。

 

手動でいきます

 

2007年から公開を始めた太宰治疎開の家が今年は12年目を迎えました。

10周年の時には特別な祝賀催事なども思いつかず、流れに任せて営業してきましたが、今年イノシシが干支を一周したところで尻をどつかれ必要に迫られ、ついに大きな事業をしました。当館の屋根の張替えです(部分)。12年前の時点で既に全体に老朽化(サビがまわって)していて、昔のコーキングの技術もマズかったみたい。以来、素人補修でごまかしながら、いやもう駄目だよな〜と眠れない雨の夜が精神的にも辛く、大出費でも、今年はもう職人さんに工事をお願いするしかないという、限界でした。大きな屋根を4面。4月と7月に分けて張り替え完了。同時に雨漏りの原因はこれだとやっと判明した外壁の塗り直しを自分で済ませ、ようやく安心して眠れるようになりました。

 もう一つ、自動ドアを手動に変更しました。それって機能ダウンのようですが、羽虫や雪に感応してガツガツ開くうるさい自動ドア。その度にスイッチ切りに走るのがずっとストレスでした。保護カバーを開けてみたら、ゴムベルトをモーターから取り外すだけ?なんて簡単!これはもっと早く気づけばよかったな。費用ゼロ。開閉が静かにスムーズになって驚いたこと。長年ずっと電気代捨ててたよ。

 

 どれもお客様には見えない改善で、館内は特段変わっていないわけですが、「もういちど太宰を読もう」と囁くお家をどうにかこうにか公開してます。

 

 

 

 

 

来館者や通り過ぎる方が毎日のように僕にいろいろな言葉をかけてくれます。

 

 

 

「こんなお宝の建物を持っていて、良かったですね〜!」(でも、いろいろあるんですがね。)

 

「古いお家を維持するのはたいへんなご苦労があるでしょう。お掃除やら経費やら。」(まあ、広いですし、雪処理がもう。)

 

「これは個人が所有していてはいけない。行政の力で買い上げてもらって公共の文化事業のために活用されるべきです。私が力のある方に話を通してあげます。任せてください。」(えっ、えっ? ・・・あれから何年間なにも音沙汰ないですが。)

 

「太宰が住んでたなんて嘘でしょう。こんなの津島家の建物じゃないよ。誰も知らないから作り話で儲けてるんだ。」(ご見学されませんか?・・・あ・・・そうですか。楽しんでくださいね。)

 

 

 

 今日最後のお客様が、「昭和20年の夏に太宰さんが疎開した時の「薄明」「たずねびと」に書かれた路線を辿ってここに来ました。とてもよかった。ここをゴールにしてよかったです。」と。

太宰さんの疎開についてすらあまり知られていない中で、それはたぶん初めてお会いした旅人です。

なんだかじわっとうれしい。

 

 

 もう一周できるか未来は判らぬがどうにかこうにか手動でいきます。

 

金木が爆撃を受けた日

しかし、この本州の北端の町にも、艦載機が飛んで来て、さかんに爆弾を落して行く。私は生家に着いた翌る日から、野原に避難小屋を作る手伝いなどした。そうして、ほどなくあの、ラジオの御放送である。

            太宰治「庭」より

 

 

 

と、太宰治が戦災を逃れて故郷に疎開した昭和207月末。その半月前の715日は金木町が米軍機による爆撃を受けた日です。金木郷土史によれば、「午前八時ごろに空襲警報が鳴り、金木全町民を驚倒させた。」「米軍の戦闘爆撃機グラマン十二機が六機編隊の二群となり、袴腰岳および大倉岳上空に現れ」金木修練農場、朝日町、上町、小川町、川端町などの被害のほか水田で作業中の人にも爆弾投下、機銃掃射の攻撃があったそうです。

 今日がその日付であることを、ご見学のお客様にお話しすると、こんな小さな町にも!と驚かれましたが、青森市、八戸市に次いで県内では3番目の被災規模だったようです。

太宰治が疎開した当時の状況について書かれた金木郷土史の画像をアップします。

 

 

 

※1976年金木町刊行の著作物で公開の許可を取っていませんので、画像を削除しました。7/16

 

 

 

 

 

 

 

 

 

又吉さんと木村さん 太宰治生誕110年記念講演会

昨日、母を誘って又吉直樹さんの講演を聴きに行きました。

 

太宰治生誕110年記念講演会。

抽選で当たった席は前から数列目、又吉さんの正面というラッキーな席でした。いつもテレビに映る様子とは違って、緊張の面持ちで、太宰作品との出会いや、その作品に助けられたエピソード、大好きな作家の魅力を訥々と、そして時々笑いを取りながら語る又吉さん。良すぎる席で、すっかりガン見状態で聴き入ってしまいました。

太宰治疎開の家を公開する毎日を、又吉さんが活躍する姿に、僕はいつも内面で助けられています。

 

第二部のゲストは木村綾子さん。

対談の中で、太宰ゆかりの文学散歩ポイントに、「太宰治まなびの家」と共に「新座敷」を大切な場所として挙げてくださり、ジュワッとしました。太宰を心に深く受け入れた方が新座敷をこんな風に思ってくださっているとは・・・美しい声だと思いました。有難くて合掌したい気持ちでした。

 

お二人は共に今年39歳となるそうで「とうとう太宰の生きた年を超えてしまいますが、これからどうします?」と最近やり取りしていたそうですが、僕が12年前に新座敷の公開を始めたのも、太宰が没したのと同じ39歳でした。

僕の太宰との出会いは随分遅かったですが、振り返ってみれば、それ以前からたくさんのことが、「太宰治」という存在よってベクトルが立てられていたように感じます。会場にいたたくさんの人たちの中にも、そう思う人たちが、少なからずいたのかもしれない。もちろん太宰治の肉体は、もう70年前にこの世にはなくなったけれど、こうして人に語りかけ、人生に深く関わって、変化を与え続ける存在は、全然死んでいないし、僕たちに、食べ物ではない、生きる養分をてんこ盛りに用意し続けてくれている。

 

かれは、人を喜ばせるのが、何よりも好きであった (「正義と微笑」」より)

 

 

 

 

 

と、一夜明けて今日のお昼。

思いがけず、僕の前には「だざい弁当」があります。

 

 

 

 

 

又吉さん、木村さんと食べてみたい「だざい弁当」

講演会でも斎藤先生がふれた、「太宰の好物」を詰め込んだ、なんとも懐かしい味わいのお弁当は、津軽鉄道株式会社で予約販売しています。