夏の花が好きなひとは、夏に死ぬっていうけれども、本当かしら。

津軽でも今日は蒸し暑く、館内ではこの夏初めてエアコンの冷房を点けた。とすれば、6月、7月と、ここまでは過ごしやすい夏だったのだ。8月が駆け足で進んで、もうすぐお盆という真夏。この頃になると町はずれのあちこちで道端に花の無人販売を見かける。墓前のお供えである。色とりどりの束であっても、亡き者に手向ける役目のせいか陰気を纏っていて好きじゃない。

 

太宰治の「斜陽」にこんな場面がある。

 

「夏の花が好きなひとは、夏に死ぬっていうけれども、本当かしら。」

きょうもお母さまは、私の畑仕事をじっと見ていらして、ふいとそんな事をおっしゃった。私は黙っておナスに水をやっていた。ああ、そういえば、もう初夏だ。

「私は、ねむの花が好きなんだけれども、ここのお庭には、一本もないのね。」

 とお母さまは、また、しずかにおっしゃる。

「夾竹桃があるじゃないの。」

 私は、わざと、つっけんどんな口調で言った。

「あれは、きらいなの。夏の花は、たいていすきだけど、あれは、おきゃんすぎて。」

「私なら薔薇がいいな。だけど、あれは四季咲きだから、薔薇の好きなひとは、春に死んで、夏に死んで、秋に死んで、冬に死んで、四度も死に直さなければならないの?」

二人、笑った。

                             太宰治「斜陽」より

 

夏の花で好きなのは7月~8月に道端に群生するレースの布ような白い花。僕は名前を知らなくて勝手にレースフラワーと呼んでいた。たおやかに手を振るように揺れるのを見て、ああ夏が来た、と思わせる可憐な花で、初めて気に留めたのは10数年前だが、子供の頃には見たことが無いような気がする。そして今日ネット検索して初めてその花の名前を知った。「ノラニンジン」。野良人参?・・・がっかりである。貴婦人だと思っていたのに野良とは貶されたものだ。レースフラワーは別の植物らしい。

もうひとつ好きなのは「ネジバナ」。これは10年前に新座敷の周りを草取りしているときに見つけた。アスファルトの裂け目から10本くらい、すっすっと細く伸びる可憐なピンクの花は下から先端に向かって螺旋状に咲いていて神秘的で見惚れた。DNA配列みたいに美しい容姿なのに、花屋では見たことがなかった。勝手にネジリ草と呼んでいたが、これは後にネジリグサという別名があることが判ったので名づけは当たりであった。ところが、4年前の春に草取りをしたときに、これをうっかり他の草といっしょに抜いてしまったらしい。その夏から螺旋が現れなくなった。しばらく後に遠くの道端や両親の家の庭にも自生していたのを見つけて毎夏見かけてはいたが、この場所から消えてしまったのはなにか寂しかった。

この8月、不用品の片づけをしていた時に、軒下に放置していた植木鉢の真ん中に立派なネジバナがすっと1本だけ奇跡のように花を咲かせていたのを見つけた。種は蒔いてないし、鉢で育てたこともないのに。神秘。

 

 

「自分の墓」という願望は無い。もし子孫がじじにお盆の花をと思ったら、これらを庭の隅に植えて自生させれば、切り花を買う必要が無い。

 

 

 

ビオレUの容器にいたずらした。中身は正規品です。

 

それまではただ開けているだけという日が続いていましたが、「移動の自粛」が解除になってからは少しだけ観光客が動いている実感があります。7月になって太宰治記念館「斜陽館」が再開したことで、金木にみえた方もガッカリで帰ることが解消されたのではないでしょうか。このごろ来館されているのは県内や秋田、岩手あたりの日帰り圏の方が多いようです。比較的感染者の少ない地域とはいえ、太宰治疎開の家も感染防止に気を付けながら営業してまいります。青森旅行の際は、また、来たことがない近隣町村の方も近くをお通りの際はぜひお立ち寄りください。

今日は9月に予定されている旅行業者の視察について市役所の方が説明にみえました。コロナが収まらない中で社会や生活の形が変わってしまって今年は見通しがありませんが、来年は少しでも需要回復しますように。

 

 

 

ビオレUの容器にいたずらした。中身は正規品です。

 

 

 

 

 

 

6月19日に太宰治初版本(復刻)展示はじめます

感染症のことで押し寄せるような変化が起こって、これまであったものが倒されたり消えてしまったり、遠いところで社会の常識が大きく変更されていくのを知りつつ、動揺があっても、それが小さいかのように心を麻痺させるのが癖になっている。実は自分の身辺だって大きく変わってしまっている事を認めたくない気持ち。アフターコロナという言葉を毎日目にします。

これまで、太宰治の生家があることで、この田舎町にも多くの観光客が訪れていました。疎開の家も大樹の陰に寄って継続してこられました。でもこうして旅行客の往来が止まってみると、自分は雲のように頼りないものに乗っかっているのだと思い知らされました。本当は2011年、あの震災の時にわかってしまったことが、今はさらに気持ち悪く底無しに進行中です。斜陽館、津軽三味線会館、物産館の休業が続き、太宰生誕祭もない状況で、確かな見通しはない。営業を続けている太宰治疎開の家は、われながら奇妙です。

コロナの影響が拡大して、いったいどうなるんだろうとネットにかじりついていたこの3月、これまで何度か疎開の家に来館されたというお客様から、本を差し上げたいとのご連絡を頂きました。名前を見ても失礼ながらお顔が浮かばなかったのですが、簡潔で、親しみを覚えるきれいな文章でした。そして内容に驚きました。来館者に見ていただく展示資料が貧弱な当館としては思いがけない僥倖でしたので、即答でお返事をしました。

贈ってくださったのは太宰治の初版本復刻シリーズです。

 

 

 

それからの毎日、来館者が途絶えた館内で、本棚に並べたのを時々読みかけたりしながら、本たちと対話しました。

 

 

君たち、どんなふうに展示されたい?場所は新座敷の床の間か、奥の押し入れか、はたまた・・・どんなケースに入れようか、いや幅広の本棚を作ろうか・・・答えはなかなか聞こえない。

でも、デビューの日だけは決めていました。619日。

営業を続けてその日を迎える予定があることが、自分には燭光になりました。

 

その日、斜陽館はまだ休業中で、生誕祭も朗読会も開けない。旅行の自粛が続く中でこの町に太宰ファンが来るのかもわからない。でも、もし数人でも太宰さんの書斎に座ろうと、来てくださる方があるなら、優しい太宰読者から手渡された32冊の本たちが待っています。

生誕111年の記念日からなにか変わる。どうにかなる、と信じたい

これまでも折々に、太宰読者や旅人に助けられて12年やってこられたのです。

今日、準備した展示ケースに並べてみたら、壮観。本たちがノビノビとして見えました。

 

 

太宰治生誕111年Anniversaryグッズ発売

619日は太宰生誕日。今年は1並びの生誕111年でちょっと話題や盛り上がりもあるかと楽しみだったのに、ウィルス感染防止のために6月の記念イベントもなくなり、金木町には旅人もほとんどいないようです。安心して遠出ができる状況に早くなればいいなと祈りながら、いつになったらなるやらならないやら。新座敷の庭や建物の整備などして過ごしながら今月になってしまいました。

 

 

◆Tシャツ:「人間失格」より、神に問う。信頼は罪なりや。をモチーフにしました。

 

 

◆Tシャツ:魚服記、女生徒、走れメロス、津軽、パンドラの匣、桜桃をデザインしています。

 

これまで毎年のように、生誕日に合わせたタイミングで新しいグッズを企画してきました。今年は太宰ファンの訪問が見通せない中で、ご来館の記念にと考えていた新商品がお蔵入りになるのも残念なので、オンライン限定のメモリアルグッズをこちらで販売することにしました。なので館内ショップ太宰屋の店頭にはありません。ポチっとクリックすると→オンラインショップDazai'sに飛びます。お気に入りの色を見つけて買っていただけるとうれしいです。商品はもう少し種類が増えるかもしれません。※ポチッとしたからといって即購入にはなりませんので、ぜひご覧ください。

 

 

 

桜の園

 

 それを聞いても、すぐにはことばも出ない。

一昨日の午後に新聞社から立て続けに電話が来て園子さんの逝去を知らされた。そうですか・・・としか言えなかった。

 

2009年に一度だけ、園子さんと新座敷でお会いした。太宰生誕百年記念のラジオ番組の収録だった。

「当時は5歳くらいで、あの疎開以来ここには入ってないから何も覚えていない。ああ、立派なところに住まわせてもらってたんですねぇ。私たちがいた部屋はどれですか?覚えてない。でも・・・あの母屋の広い土間で従妹たちと遊んだ記憶はあるんです。」とおっしゃっていた。

前年、その従妹の方から、友達と遊んでいるところに割って入ってくる東京から来た園子ちゃんにいじわるをした、というお話を聞いていた。一言ではあったけど。父の太宰治がそうだったように、幼くても疎開者の肩身の狭さを感じることもあっただろう。

 

僕は園子さんの名づけの由来を知らない。太宰治はいくつかの作品に生家を「いまは桜の園だ」と書いていて、まさかその意味とは無関係だが、いつもこの言葉に触れる度に連想してしまう。園子さん、見えますか。今年はあなたのために、こんなに早く桜が満開です。