かすかな希望

 

先日、ある方から戦前のゴールデンバットの空箱をいただいた。

メルカリで売られているのだそうだ。

大日本帝國専賣局と書かれている、太宰さんも愛用の銘柄だ。

空箱ではあったが太宰さんの書斎にこれを置いた。

 

太宰さんはここで煙草をちょっと吸っては火鉢に差し差し、

終戦直後から新聞小説を書き始めた。

 

 

 

 

太宰治「パンドラの匣」より

君はギリシャ神話のパンドラのという物語をご存じだろう。あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬貪慾猜疑陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫がい出し、空をってぶんぶん飛びり、それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅に、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、その石に幽かに「希望」という字が書かれていたという話。

 それはもう大昔からきまっているのだ。人間には絶望という事はあり得ない。人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。正直に言う事にしよう。人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。それはもうパンドラの匣以来、オリムポスの神々にっても規定せられている事実だ。楽観論やら悲観論やら、肩をそびやかして何やら演説して、ことさらに気勢を示している人たちを岸に残して、僕たちの新時代の船は、一足おさきにするすると進んで行く。何の渋滞も無いのだ。それはまるで植物のが延びるみたいに、意識を超越した天然の向日性に似ている。
 本当にもうこれからは、やたらに人を非国民あつかいにして責めつけるような気取ったものの言い方などはやめにしましょう。この不幸な世の中を、ただいっそう陰鬱にするだけの事だ。他人を責めるひとほど陰で悪い事をしているものではないのか。こんどまた戦争に負けたからと
言って、大いそぎで一時のがれのごまかしを捏造して、ちょっとうまい事をしようとたくらんでいる政治家など無ければ幸いだが、そんな浅墓な言いつくろいが日本をだめにして来たのだから、これからは本当に、気をつけてもらいたい。二度とあんな事を繰り返したら世界中の鼻つまみになるかも知れぬ。ホラなんか吹かずに、もっとさっぱりと単純な人になりましょう。新造の船は、もう既に海洋にすべり出ているのだ。   ・・・つづく

 

 

                                           

 

君は神国の煙草という怪談をご存じだろうか。

吸ってはならぬ前時代の代物をつかまされたばかりに、

憎悪、傲慢、陰険、不正、収賄、偽証、隠蔽、改竄、脱法など、

あらゆる悪臭と煙が空を覆って日光を遮り、

「ごほごほ。もうやめてくれ」

「いや、なにを。最後まで吸ってもらいますよ」

それ以来、国民は絶望的な大気汚染に悶えなければならなくなったが、

 

 

                                             

しかし、底を押し開けると、その箱の隅に1本だけ清潔な煙草が残っていて、

幽かに「希望」という字が書かれていたという話。

 

 

 

 

かの時に言ひそびれたる 大切の言葉

 

 

かの時に言ひそびれたる 大切の言葉は 今も胸にのこれど

                石川啄木『一握の砂』

 

 

うちのお正月はぬるい。ややへそ曲がりの僕は、にわか伝統の儀礼や面倒な行事、できればこれらを日常のようにやり過ごしたいと考えている。子供のころから、しっかり初めから最後まで、が苦手である。年越しの集団カウントダウン、その瞬間派手に高所から飛び降りるニュース映像、これも無感心だが、いろいろひっくるめてのお正月気分、これはわかる。でも、年が代わる元日は、なにゆえ「おめでとう」なのか。

元旦の朝、お雑煮を前に家族が揃ったので、さあ、いただきましょうの前に、お父さんとしてなにか挨拶する場面だなと、みんなの顔を見まわしてみて思う。ああ、これはおめでたい事なのだ。ここにいる家族が無事に年を超し、揃って新しい一年を生き始められるのだ。それは当たり前のことではないな。

という事を話し始めたものの、亡くなった祖母や兄の面影が浮かんできたら目が熱くなり、うまく言えずごにょごにょ濁して合掌「はい、年神様に感謝していただきまーす」

 

 

かの時に言ひそびれたる 大切の言葉は 今も胸にのこれど

 

 

新年の最初に観た映画は「男はつらいよ おかえり 寅さん」でした。

「今、ここにおじさんがいてくれたら・・・」光男の記憶の中にはいつも四角い顔のおじさんが現れて、不器用な生き方とその大切な言葉を思い出す。懐かしい人たちのやりとりがたくさん回想されて、寅さんと共に歴代のマドンナが、あ〜このひと、あ、この場面!これはニュー・シネマ・パラダイスではないか( ;∀;)

まだ若かった父親に連れられて、10歳だった僕は上野で初めて寅さんを見た。『寅次郎と殿様』。1977年はもう43年前だ。思い出せば、忙しい生活の中で手を引いていろんな事を見せようとしてくれていた。その父親もまだ元気とは云え年をとった。この頃はあと何年?と思ってしまう。顔を合わせてもいつも生活会話ばかりでやり過ごしているが、久しぶりに一緒に寅さんを観ようか、なんて考えた。

 

 

 

 

かの時に言ひそびれたる 大切の言葉は 今も胸にのこれど 

そびれてばかりだ

 

 

生きている自分が、もう会えない人たちの思い出に支えられている、と思ったお正月。

 

 

 

 

 

 

 

この冬初めて融雪パイプの栓を開けました

 

真冬にもかかわらず、朝から晴れて岩木山がすばらしくきれいでした。

積もった雪も今日はこのとおりです。

 

 

 

今年もたくさんの旅人が太宰さんの書斎に座っていかれました。

来館者ノートをめくってみると、

それぞれがいろんな思いを抱いて訪ねてくださっているのがわかります。

 

中国の読者、すごく多いです。

今日も熱心に見学しているお客様の姿を見て、

ほんとに深く太宰さんを想っているのが伝わってきました。

「泣き出してしまうほど好きです」とノートに書かれてあります。

 

 

今日、この冬初めて融雪パイプの栓を開けました。

気温が上がって屋根から雪が落ちてきます。

 

 

春一番に黄色い花が咲いたサンシュユが

今日はこんな赤い実です。

 

 

めずらしい好天の年末でした。

 

太宰治疎開の家は本日で年内の営業終了となり、新年は1月4日から営業いたします。

みなさんどうぞ良いお正月をお過ごしください。

 

100年後の日本のために太宰さんが書いた「十二月八日」


 

 

きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。もう百年ほど経って日本が紀元二千七百年の美しいお祝いをしている頃に、私の此の日記帳が、どこかの土蔵の隅から発見せられて、百年前の大事な日に、わが日本の主婦が、こんな生活をしていたという事がわかったら、すこしは歴史の参考になるかも知れない。だから文章はたいへん下手でも、嘘だけは書かないように気を附ける事だ。なにせ紀元二千七百年を考慮にいれて書かなければならぬのだから、たいへんだ。

                             

                              「十二月八日」冒頭より

 

 

今日ご見学の方には太宰さんの「十二月八日」を紹介しています。昭和16年のこの日は真珠湾奇襲によって日米開戦が国民に知らされた日。作家の妻の日記という形式で書かれた文章の続きには、人々が複雑な不安と高揚感をもってその日をすごした様子が語られています。その後の悲惨な暴走を知っている未来のわたしたちは、愚かな開戦だったと、もどかしさを感じるところですが、70数年前の国民は軍や為政者の筋書きで作られた正義と権力にのまれて前線に立たされ、加害者となり、犠牲者となり、多くの悲劇に打ちのめされて日本は滅んだのです。

 

 

「日本は、本当に大丈夫でしょうか。」

 と私が思わず言ったら、

「大丈夫だから、やったんじゃないか。かならず勝ちます。」

 と、よそゆきの言葉でお答えになった。主人の言う事は、いつも嘘ばかりで、ちっともあてにならないけれど、でも此のあらたまった言葉一つは、固く信じようと思った。

台所で後かたづけをしながら、いろいろ考えた。目色、毛色が違うという事が、之程までに敵愾心を起させるものか。滅茶苦茶に、ぶん殴りたい。支那を相手の時とは、まるで気持がちがうのだ。本当に、此の親しい美しい日本の土を、けだものみたいに無神経なアメリカの兵隊どもが、のそのそ歩き廻るなど、考えただけでも、たまらない、此の神聖な土を、一歩でも踏んだら、お前たちの足が腐るでしょう。お前たちには、その資格が無いのです。日本の綺麗な兵隊さん、どうか、彼等を滅っちゃくちゃに、やっつけて下さい。これからは私たちの家庭も、いろいろ物が足りなくて、ひどく困る事もあるでしょうが、御心配は要りません。私たちは平気です。いやだなあ、という気持は、少しも起らない。こんな辛い時勢に生れて、などと悔やむ気がない。かえって、こういう世に生れて生甲斐をさえ感ぜられる。こういう世に生れて、よかった、と思う。ああ、誰かと、うんと戦争の話をしたい。やりましたわね、いよいよはじまったのねえ、なんて。

 

 

冒頭で紀元2700年のお祝いが話題になったのは、この前年(昭和15年)が紀元2600年の大祭だったからです。キリスト紀元とは別に、維新政府が明治5年に初代・神武天皇が即位した西暦紀元前660年を元年とする「紀元」「皇紀」を制定し、それによれば件の紀元2700年は、今から21年後の令和22年、西暦2040年ということになります。

2600年の下2桁から「ゼロ戦」と命名された戦闘機が飛び立ってから次の100年も待たずに、「守るだけではなく積極的平和」という言葉で他国で戦争ができる国を目指したり、隣国との軋轢やヘイトを煽る情報に奮い立つ人が集会したり・・・危い。過去の歴史を隠蔽し正義を上書きして愛国教育を目論むような政府や思想体制にわたしたちがなんとなく成り行きを委ねているなら、いつか社会不安や経済の行き詰まりに出口がなくなった時、たぶん、隣国の脅威が激しく宣伝されはじめる。

 

ああ、誰かと、うんと戦争の話をしたい。やりましたわね、いよいよはじまったのねえ、

 

なんて、

そんな美しい国の紀元二千七百年のお祝いはいらない。

 

 

 

人間の世界の生き死にだけがややこしい

新座敷の建物の雪囲い作業をしていたら、暗くなるのがずいぶん早いな。朝からの曇り空が日没の間際だけ少し晴れました。

 

 

 

帰る時を知るやその身を屈みおり斜陽に焼かれゆく葉に後光

 

夏のあたたかな陽光は枝先の葉を萌出させ、いま冬の夕日が地面に枯れ落ちんとする葉を赤々と照らしている。自然の営みはまことに淡々として潔い。自然の一部のはずなのに、倫理や宗教や法律や蓄財を発明した人間の世界の生き死にだけが不自然で未練がましくてややこしい。

 

いやいや、皆がそう思ってるわけでもないのだ。

体が冷えると元気がなくなるから、楽しい事を考えよう。