金木が爆撃を受けた日

しかし、この本州の北端の町にも、艦載機が飛んで来て、さかんに爆弾を落して行く。私は生家に着いた翌る日から、野原に避難小屋を作る手伝いなどした。そうして、ほどなくあの、ラジオの御放送である。

            太宰治「庭」より

 

 

 

と、太宰治が戦災を逃れて故郷に疎開した昭和207月末。その半月前の715日は金木町が米軍機による爆撃を受けた日です。金木郷土史によれば、「午前八時ごろに空襲警報が鳴り、金木全町民を驚倒させた。」「米軍の戦闘爆撃機グラマン十二機が六機編隊の二群となり、袴腰岳および大倉岳上空に現れ」金木修練農場、朝日町、上町、小川町、川端町などの被害のほか水田で作業中の人にも爆弾投下、機銃掃射の攻撃があったそうです。

 今日がその日付であることを、ご見学のお客様にお話しすると、こんな小さな町にも!と驚かれましたが、青森市、八戸市に次いで県内では3番目の被災規模だったようです。

太宰治が疎開した当時の状況について書かれた金木郷土史の画像をアップします。

 

 

 

※1976年金木町刊行の著作物で公開の許可を取っていませんので、画像を削除しました。7/16

 

 

 

 

 

 

 

 

 

又吉さんと木村さん 太宰治生誕110年記念講演会

昨日、母を誘って又吉直樹さんの講演を聴きに行きました。

 

太宰治生誕110年記念講演会。

抽選で当たった席は前から数列目、又吉さんの正面というラッキーな席でした。いつもテレビに映る様子とは違って、緊張の面持ちで、太宰作品との出会いや、その作品に助けられたエピソード、大好きな作家の魅力を訥々と、そして時々笑いを取りながら語る又吉さん。良すぎる席で、すっかりガン見状態で聴き入ってしまいました。

太宰治疎開の家を公開する毎日を、又吉さんが活躍する姿に、僕はいつも内面で助けられています。

 

第二部のゲストは木村綾子さん。

対談の中で、太宰ゆかりの文学散歩ポイントに、「太宰治まなびの家」と共に「新座敷」を大切な場所として挙げてくださり、ジュワッとしました。太宰を心に深く受け入れた方が新座敷をこんな風に思ってくださっているとは・・・美しい声だと思いました。有難くて合掌したい気持ちでした。

 

お二人は共に今年39歳となるそうで「とうとう太宰の生きた年を超えてしまいますが、これからどうします?」と最近やり取りしていたそうですが、僕が12年前に新座敷の公開を始めたのも、太宰が没したのと同じ39歳でした。

僕の太宰との出会いは随分遅かったですが、振り返ってみれば、それ以前からたくさんのことが、「太宰治」という存在よってベクトルが立てられていたように感じます。会場にいたたくさんの人たちの中にも、そう思う人たちが、少なからずいたのかもしれない。もちろん太宰治の肉体は、もう70年前にこの世にはなくなったけれど、こうして人に語りかけ、人生に深く関わって、変化を与え続ける存在は、全然死んでいないし、僕たちに、食べ物ではない、生きる養分をてんこ盛りに用意し続けてくれている。

 

かれは、人を喜ばせるのが、何よりも好きであった (「正義と微笑」」より)

 

 

 

 

 

と、一夜明けて今日のお昼。

思いがけず、僕の前には「だざい弁当」があります。

 

 

 

 

 

又吉さん、木村さんと食べてみたい「だざい弁当」

講演会でも斎藤先生がふれた、「太宰の好物」を詰め込んだ、なんとも懐かしい味わいのお弁当は、津軽鉄道株式会社で予約販売しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年7月13日〜『陶工房ゆきふらし』展

 

 

2008年に五所川原市金木町に工房を移転したのち、2015年夏に同町・太宰治疎開の家に常設ギャラリー開設した、猿田壮也+猿田千帆『陶工房ゆきふらし』。

今年はこのギャラリーが5回目の夏を迎えます。

 

来週713日(土)〜15日(月)に、ギャラリー開設時以来の、スペースを拡大しての展示会をします。新作も含めて、いつもよりたくさんの作品が揃い、期間中は作家が在廊して釉彩の絵付け実演をする予定です。連休の楽しみに、どうぞお出かけください。