6月19日に太宰治初版本(復刻)展示はじめます

感染症のことで押し寄せるような変化が起こって、これまであったものが倒されたり消えてしまったり、遠いところで社会の常識が大きく変更されていくのを知りつつ、動揺があっても、それが小さいかのように心を麻痺させるのが癖になっている。実は自分の身辺だって大きく変わってしまっている事を認めたくない気持ち。アフターコロナという言葉を毎日目にします。

これまで、太宰治の生家があることで、この田舎町にも多くの観光客が訪れていました。疎開の家も大樹の陰に寄って継続してこられました。でもこうして旅行客の往来が止まってみると、自分は雲のように頼りないものに乗っかっているのだと思い知らされました。本当は2011年、あの震災の時にわかってしまったことが、今はさらに気持ち悪く底無しに進行中です。斜陽館、津軽三味線会館、物産館の休業が続き、太宰生誕祭もない状況で、確かな見通しはない。営業を続けている太宰治疎開の家は、われながら奇妙です。

コロナの影響が拡大して、いったいどうなるんだろうとネットにかじりついていたこの3月、これまで何度か疎開の家に来館されたというお客様から、本を差し上げたいとのご連絡を頂きました。名前を見ても失礼ながらお顔が浮かばなかったのですが、簡潔で、親しみを覚えるきれいな文章でした。そして内容に驚きました。来館者に見ていただく展示資料が貧弱な当館としては思いがけない僥倖でしたので、即答でお返事をしました。

贈ってくださったのは太宰治の初版本復刻シリーズです。

 

 

 

それからの毎日、来館者が途絶えた館内で、本棚に並べたのを時々読みかけたりしながら、本たちと対話しました。

 

 

君たち、どんなふうに展示されたい?場所は新座敷の床の間か、奥の押し入れか、はたまた・・・どんなケースに入れようか、いや幅広の本棚を作ろうか・・・答えはなかなか聞こえない。

でも、デビューの日だけは決めていました。619日。

営業を続けてその日を迎える予定があることが、自分には燭光になりました。

 

その日、斜陽館はまだ休業中で、生誕祭も朗読会も開けない。旅行の自粛が続く中でこの町に太宰ファンが来るのかもわからない。でも、もし数人でも太宰さんの書斎に座ろうと、来てくださる方があるなら、優しい太宰読者から手渡された32冊の本たちが待っています。

生誕111年の記念日からなにか変わる。どうにかなる、と信じたい

これまでも折々に、太宰読者や旅人に助けられて12年やってこられたのです。

今日、準備した展示ケースに並べてみたら、壮観。本たちがノビノビとして見えました。

 

 

太宰治生誕111年Anniversaryグッズ発売

619日は太宰生誕日。今年は1並びの生誕111年でちょっと話題や盛り上がりもあるかと楽しみだったのに、ウィルス感染防止のために6月の記念イベントもなくなり、金木町には旅人もほとんどいないようです。安心して遠出ができる状況に早くなればいいなと祈りながら、いつになったらなるやらならないやら。新座敷の庭や建物の整備などして過ごしながら今月になってしまいました。

 

 

◆Tシャツ:「人間失格」より、神に問う。信頼は罪なりや。をモチーフにしました。

 

 

◆Tシャツ:魚服記、女生徒、走れメロス、津軽、パンドラの匣、桜桃をデザインしています。

 

これまで毎年のように、生誕日に合わせたタイミングで新しいグッズを企画してきました。今年は太宰ファンの訪問が見通せない中で、ご来館の記念にと考えていた新商品がお蔵入りになるのも残念なので、オンライン限定のメモリアルグッズをこちらで販売することにしました。なので館内ショップ太宰屋の店頭にはありません。ポチっとクリックすると→オンラインショップDazai'sに飛びます。お気に入りの色を見つけて買っていただけるとうれしいです。商品はもう少し種類が増えるかもしれません。※ポチッとしたからといって即購入にはなりませんので、ぜひご覧ください。

 

 

 

桜の園

 

 それを聞いても、すぐにはことばも出ない。

一昨日の午後に新聞社から立て続けに電話が来て園子さんの逝去を知らされた。そうですか・・・としか言えなかった。

 

2009年に一度だけ、園子さんと新座敷でお会いした。太宰生誕百年記念のラジオ番組の収録だった。

「当時は5歳くらいで、あの疎開以来ここには入ってないから何も覚えていない。ああ、立派なところに住まわせてもらってたんですねぇ。私たちがいた部屋はどれですか?覚えてない。でも・・・あの母屋の広い土間で従妹たちと遊んだ記憶はあるんです。」とおっしゃっていた。

前年、その従妹の方から、友達と遊んでいるところに割って入ってくる東京から来た園子ちゃんにいじわるをした、というお話を聞いていた。一言ではあったけど。父の太宰治がそうだったように、幼くても疎開者の肩身の狭さを感じることもあっただろう。

 

僕は園子さんの名づけの由来を知らない。太宰治はいくつかの作品に生家を「いまは桜の園だ」と書いていて、まさかその意味とは無関係だが、いつもこの言葉に触れる度に連想してしまう。園子さん、見えますか。今年はあなたのために、こんなに早く桜が満開です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ことしの東京の春は、北国の春とたいへん似ています

 

 

今日は3月29日、どうしたことか桜が咲いている東京で気温が下がり積雪があったという。この冬は雪国が記録的な少雪になって、気候のムラが近年はますます大きくなってきているようだ。南極で20℃観測なんて、地球全体がこの先も過去の傾向から外れる異常が繰り返すのだから、この先、東京五輪やってなくてよかったねと後で思うような、猛暑や台風や洪水がないと、誰にも言えない。それが来年であっても。地球環境がこんなになってしまった元凶は産業革命以来、人間が環境に対して負荷を増大させ続けたせいだ。数十年前から信号が黄色に変わったのは気づいていたのに、まだ大丈夫と蛇口をとめなかったからコップの水はあふれたのだと思う。

太宰さんはエッセイ『春』の中に東京の大雪の事を書いているが、それは太平洋戦争敗戦の年、昭和20年2月22日に積雪38センチの大雪があった後のことだった。

 

 

 もう、三十七歳になります。こないだ、或る先輩が、よく、まあ、君は、生きて来たなあ、としみじみ言っていました。私自身にも、三十七まで生きて来たのが、うそのように思われる事があります。戦争のおかげで、やっと、生き抜く力を得たようなものです。もう、子供が二人あります。上が女の子で、ことし五歳になります。下は、男の子で、これは昨年の八月に生れ、まだ何の芸も出来ません。敵機来襲の時には、妻が下の男の子を背負い、私は上の女の子を抱いて、防空壕に飛び込みます。

・・・中略

 疎開しなければならぬのですけれど、いろいろの事情で、そうして主として金銭の事情で、愚図々々しているうちに、もう、春がやって来ました。
 ことしの東京の春は、北国の春とたいへん似ています。
 雪溶けの滴の音が、絶えず聞えるからです。上の女の子は、しきりに足袋を脱ぎたがります。
ことしの東京の雪は、四十年振りの大雪なのだそうですね。私が東京へ来てから、もうかれこれ十五年くらいになりますが、こんな大雪に遭った記憶はありません。
 雪が溶けると同時に、花が咲きはじめるなんて、まるで、北国の春と同じですね。いながらにして故郷に疎開したような気持ちになれるのも、この大雪のおかげでした。
 いま、上の女の子が、はだしにカッコをはいて雪溶けの道を、その母に連れられて銭湯に出かけました。
 きょうは、空襲が無いようです。

 

 

 ↑しかし、まもなく東京では一夜にして十万の人が死に、地方都市も次々と焦土となり、五カ月で日本帝国は敗戦国となって滅んだ。

外国の報道をみればウィルスの脅威と戦う戦争状態なのを知らないはずはないのに、、五輪閥大本営の情報操作のせいで、マスクで花見に繰り出す人たちや盛り場で宴の若者たちも日本はまだ大丈夫と思ってるし。季節外れの大雪がなんだか気持ち悪い。

 

 

命あらば、また他日。の気分

 

 

「ね、なぜ旅に出るの?」

「苦しいからさ。」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」
「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村礒多三十七。」
「それは、何の事なの?」
「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでゐる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとつて、これくらゐの年齢の時が、一ばん大事で、」
「さうして、苦しい時なの?」
「何を言つてやがる。ふざけちやいけない。お前にだつて、少しは、わかつてゐる筈たがね。もう、これ以上は言はん。言ふと、気障になる。おい、おれは旅に出るよ。」

                              

                              『津軽』本編 巡礼より

 

 

 

おしまいに、命あらば、また他日。と太宰さんが書いたのは戦時中だった。

 

 

 

 

向田邦子、氷室冴子、美空ひばり、石原裕次郎、三波伸介、森瑤子、中島らも、横山やすし、ジョン・デンバー。

「それは、何の事なの?」と、僕に聞く人はいないが、まあ、いたとして、「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでゐる。おれもそろそろ、そのとしだ。」と答えてみたものの、うん、だからどうしたと言われてしまうただの凡夫である。大病はしていないが風邪をひくと気管支が弱い。

 桜の季節なのに、新型ウィルスの事で誰もが不安で先の見通しが立たない状況なのだ。これから大都市で感染爆発が起こり、遅れて地方でもたくさん人が死ぬのだ。それは年をとった両親は特に、僕だって無関係であるはずがない・・・みんながそう覚悟しているのかと思いきや、しかし世人の見方は多様であった。「日本は外国とちがって清潔だから、大したことにならずに収まるよ」今日、近親からケロリと言われて、ああ、自分とは全然ちがう心持で生きている人達がきっとごまんといるのだと、虚弱な凡夫はなんだかショックだった。政府の対策や休校要請が場当たり的で軽率で全然ダメだ、これでは状況が厳しくなると思う自分は少数派の悲観主義者なのか。イタリアやイギリスではもう、あんなことになっているのに、ふつうに活動している大都市の皆さんはいったい大丈夫なのか。

 

「感染を抑えるには、ここからが一ばん大事で、」

「さうして、苦しい時なの?」

「何を言つてやがる。ふざけちやいけない。お前にだつて、少しは、わかつてゐる筈たがね。もう、これ以上は言はん。言ふと、腹が立つ。おい、おれは行列に並ぶのはいやだから保存食の買い出しに出るよ。」

 

と、買い出しに出なかったとしても、いま津軽ではフキノトウや菜の花は香ばしくおいしく、新座敷の庭ではいつもの通りサンシュユの黄色が明るく春を知らせて、桜の蕾も膨らみ始めた。観光客がまばらになって、金木も青森も弘前も、毎年の出店がならぶ桜まつりは中止と決まったが、それでも花は咲く。これから地域閉鎖があったり外出自粛が進んだりで旅人は来ないのかもしれないが、みんなの我慢のお陰で爆発的感染にならず、所得補助が多くの人の生活を助けて、静かな公園の満開の桜を見上げながら家族で散歩ができるくらいだといい。都会に暮らす子や孫や遠くの親戚もみんな無事でいてくれるといい。そうして早晩効果確かな治療薬やワクチンができることを願っている。みなさんどうぞお元気で、お元気で。