ことしの東京の春は、北国の春とたいへん似ています

 

 

今日は3月29日、どうしたことか桜が咲いている東京で気温が下がり積雪があったという。この冬は雪国が記録的な少雪になって、気候のムラが近年はますます大きくなってきているようだ。南極で20℃観測なんて、地球全体がこの先も過去の傾向から外れる異常が繰り返すのだから、この先、東京五輪やってなくてよかったねと後で思うような、猛暑や台風や洪水がないと、誰にも言えない。それが来年であっても。地球環境がこんなになってしまった元凶は産業革命以来、人間が環境に対して負荷を増大させ続けたせいだ。数十年前から信号が黄色に変わったのは気づいていたのに、まだ大丈夫と蛇口をとめなかったからコップの水はあふれたのだと思う。

太宰さんはエッセイ『春』の中に東京の大雪の事を書いているが、それは太平洋戦争敗戦の年、昭和20年2月22日に積雪38センチの大雪があった後のことだった。

 

 

 もう、三十七歳になります。こないだ、或る先輩が、よく、まあ、君は、生きて来たなあ、としみじみ言っていました。私自身にも、三十七まで生きて来たのが、うそのように思われる事があります。戦争のおかげで、やっと、生き抜く力を得たようなものです。もう、子供が二人あります。上が女の子で、ことし五歳になります。下は、男の子で、これは昨年の八月に生れ、まだ何の芸も出来ません。敵機来襲の時には、妻が下の男の子を背負い、私は上の女の子を抱いて、防空壕に飛び込みます。

・・・中略

 疎開しなければならぬのですけれど、いろいろの事情で、そうして主として金銭の事情で、愚図々々しているうちに、もう、春がやって来ました。
 ことしの東京の春は、北国の春とたいへん似ています。
 雪溶けの滴の音が、絶えず聞えるからです。上の女の子は、しきりに足袋を脱ぎたがります。
ことしの東京の雪は、四十年振りの大雪なのだそうですね。私が東京へ来てから、もうかれこれ十五年くらいになりますが、こんな大雪に遭った記憶はありません。
 雪が溶けると同時に、花が咲きはじめるなんて、まるで、北国の春と同じですね。いながらにして故郷に疎開したような気持ちになれるのも、この大雪のおかげでした。
 いま、上の女の子が、はだしにカッコをはいて雪溶けの道を、その母に連れられて銭湯に出かけました。
 きょうは、空襲が無いようです。

 

 

 ↑しかし、まもなく東京では一夜にして十万の人が死に、地方都市も次々と焦土となり、五カ月で日本帝国は敗戦国となって滅んだ。

外国の報道をみればウィルスの脅威と戦う戦争状態なのを知らないはずはないのに、、五輪閥大本営の情報操作のせいで、マスクで花見に繰り出す人たちや盛り場で宴の若者たちも日本はまだ大丈夫と思ってるし。季節外れの大雪がなんだか気持ち悪い。

 

 

命あらば、また他日。の気分

 

 

「ね、なぜ旅に出るの?」

「苦しいからさ。」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちつとも信用できません。」
「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村礒多三十七。」
「それは、何の事なの?」
「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでゐる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとつて、これくらゐの年齢の時が、一ばん大事で、」
「さうして、苦しい時なの?」
「何を言つてやがる。ふざけちやいけない。お前にだつて、少しは、わかつてゐる筈たがね。もう、これ以上は言はん。言ふと、気障になる。おい、おれは旅に出るよ。」

                              

                              『津軽』本編 巡礼より

 

 

 

おしまいに、命あらば、また他日。と太宰さんが書いたのは戦時中だった。

 

 

 

 

向田邦子、氷室冴子、美空ひばり、石原裕次郎、三波伸介、森瑤子、中島らも、横山やすし、ジョン・デンバー。

「それは、何の事なの?」と、僕に聞く人はいないが、まあ、いたとして、「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでゐる。おれもそろそろ、そのとしだ。」と答えてみたものの、うん、だからどうしたと言われてしまうただの凡夫である。大病はしていないが風邪をひくと気管支が弱い。

 桜の季節なのに、新型ウィルスの事で誰もが不安で先の見通しが立たない状況なのだ。これから大都市で感染爆発が起こり、遅れて地方でもたくさん人が死ぬのだ。それは年をとった両親は特に、僕だって無関係であるはずがない・・・みんながそう覚悟しているのかと思いきや、しかし世人の見方は多様であった。「日本は外国とちがって清潔だから、大したことにならずに収まるよ」今日、近親からケロリと言われて、ああ、自分とは全然ちがう心持で生きている人達がきっとごまんといるのだと、虚弱な凡夫はなんだかショックだった。政府の対策や休校要請が場当たり的で軽率で全然ダメだ、これでは状況が厳しくなると思う自分は少数派の悲観主義者なのか。イタリアやイギリスではもう、あんなことになっているのに、ふつうに活動している大都市の皆さんはいったい大丈夫なのか。

 

「感染を抑えるには、ここからが一ばん大事で、」

「さうして、苦しい時なの?」

「何を言つてやがる。ふざけちやいけない。お前にだつて、少しは、わかつてゐる筈たがね。もう、これ以上は言はん。言ふと、腹が立つ。おい、おれは行列に並ぶのはいやだから保存食の買い出しに出るよ。」

 

と、買い出しに出なかったとしても、いま津軽ではフキノトウや菜の花は香ばしくおいしく、新座敷の庭ではいつもの通りサンシュユの黄色が明るく春を知らせて、桜の蕾も膨らみ始めた。観光客がまばらになって、金木も青森も弘前も、毎年の出店がならぶ桜まつりは中止と決まったが、それでも花は咲く。これから地域閉鎖があったり外出自粛が進んだりで旅人は来ないのかもしれないが、みんなの我慢のお陰で爆発的感染にならず、所得補助が多くの人の生活を助けて、静かな公園の満開の桜を見上げながら家族で散歩ができるくらいだといい。都会に暮らす子や孫や遠くの親戚もみんな無事でいてくれるといい。そうして早晩効果確かな治療薬やワクチンができることを願っている。みなさんどうぞお元気で、お元気で。

 

 

 

 

 

 

作家・津島祐子さんの声が聞こえる

 太宰治の二女、作家・津島祐子さんは2016年2月に他界された。僕はその訃報を知る時まで彼女の文章にほとんど触れたことがなかったが、興味が出ていくつかの小説をよんだ。いまは津島祐子さんの生前に校正中だった最後のエッセイ集を読んでいる。本は【いのちの輝き】という親しい人の死について書いた2004年の短文から始まり、2011年の東日本大震災とあの原発事故以降、ご自身の暮らしや活動の中で文学と世界の近代史を見つめ直しながら、小説を書くこと、小説を読むことが、それぞれの人間が生きていく現場とどう結びあわされていくのかを思索し、人間の世界の行方を文学の言葉で伝えた大切なメッセージの数々だった。

 

 

 

 

教科書で多くは語られない、キリシタン迫害やアイヌ民族の差別の実像。明治時代に作られた国家神道を掲げて日本帝国が台湾や中国の人たちにしたこと。「強者が弱者を養う」はた迷惑なもっともらしい論理のもとで原子力発電が先住民の世界を踏みにじり、政治や学校の制度が、知らずに無視していた他者や立場の弱い女性やマイノリティーの小さな声を塞ぎ隠してしまう、そのいびつな社会の姿についてもご自身の体験と世界各地でのフィールドワークをもとに鋭く語られる。

 

 

 

 

この本が出版されてからすでに4年経つ。現政権が長く続く中で、これまでなら濁った水面下で秘密裡に進行するような暗部が、昨今、見苦しくぶざまに衆目の前に表出してきた日本の状況の背景についても

 

現在の政権は「日本会議」なる団体に事実上支配されていて、この右翼団体は国家神道と戦前の軍国復活を夢見ているらしく・・・

 

と明快に語り、さらに、

 

それに加え、女たちをもっと安価にこき使おうとして「女性がかがやく・・・」などと、政権与党の政治家たちがおそろしく不愉快で、浅ましい日本語をしきりに言いたてるのを聞くにつれ、ああ、私が学生だったころから女に関する環境、そして認識がこの日本という国ではまったく変わっていなかったんだ、

                 本書【「女」と「男」の根源的課題】から引用

 

またさらに、

 

目下の日本で言われている「政治」はじつは、「金権」のことなのではないか。「学校」は「軍隊」という意味なのではないか。子供たちを制度に縛り付け、制度は「金権」のために作られていく。少なくとも、そのような社会では子どもの幸福感は薄いだろうし、税金を支払う国民の不満もたまっていく。

                      本書【祖父と曾祖父の話】から引用

 

と、読みながら膝をたたくほど小気味いい。

いま、国民を支配するものとしか見ていない私物化政権は、憲法も天皇制もTPPもエネルギーも野菜の種も水道も、制度を「私の責任において!」「私の手で!」「私が!」振り回し易いものに変えるそうだ。

もしも今日まで津島祐子さんがご健在であったなら、きっと彼女の言葉はさらに重く力強く私たちにこの国の危うさを伝えてくれたはずだ。

 

 

 

 

「這っても黒豆」ってご存知?

 私たちの船が難波しているというのに、乗客の命を背負って舵取りをしているはずの船長がとんだクワセモノであることが判ってしまい、昨今、そのでたらめな迷走言動から目が離せない。「私の責任で。私の手で。」という言葉を何度も吐きながら、彼がやっているのは乗員の生命と財産を掛け金にした、イカサマ大賭博である。我が神軍、一億玉砕、勝ッテマス。大戦中の大本営発表である。

 

 

 ここに『アーサーの言の葉食堂』(2013年)という本がある。

詩人アーサー・ビナードさんは、長年暮らす日本社会と日本人の姿を詩作、翻訳、ラジオコメンテーターなどの活動を通して多彩にアメリカ人の目から表現してきた。第一詩集『釣り上げては』は2001年中原中也賞に選ばれている。彼のエッセイ集「アーサーの言の葉食堂」は東日本大震災後の日本についても書かれていて、目次には「なめる原爆、クシャミする核」「TPPの火種」「日本の冒涜増殖原型炉もんじゅ」など、内容にも風刺と警鐘が込められた項がいくつもある。その中の「這っても黒豆」という文章が良い。僕はこれを読んだ数年前まで、豆好きアーサーがお気に入りの「這っても黒豆」という慣用句を知らなかった。

この比喩的表現はこういうことだ。(以下引用)床の上に丸みを帯びた黒っぽい物体があり、それを指さして「黒豆だ」という人がいる。まわりが「そうかい?違うんじゃないの?」と疑問を呈しても、その人は「間違いない、黒豆だ」とますます強情になる。そして黒い物体そのものが六本のギザギザ脚で這い出しても、主張に変更はない。「なにがなんでも黒豆だ!」現実を直視せず、間違いを改めず、とにかく自分の都合で物事を決めつけて無理やり通そうとする姿勢を揶揄する言葉だ。(ここまで引用)この項では文学界にも政界にもいるこの種の人、特に2011年の震災、原発事故後にも原発政策推進!の御仁たちを刺して書いているのだが、これをそのまま2020年の船長と、そのまわりでニヤニヤしている乗員たちに言ってやりたい。

 

 

「まったく説明していない」→「真摯に丁寧に説明している」

 

「それは違法ですが?」→「適切だ。なんら問題ない」

 

「なぜ速やかに検査しないのか?」→「国民の安全を第一に先手先手で取り組んでいる。」

 

 

メロスも必ず言うだろう。「這っても黒豆ではないか。おどろいた。国王は乱心か。」

そしてすでに王が裸であることが国会中継を見たすべての民に判ってしまったのに、民の声には「意味のない質問だよ」と笑い。真実を語れば公認がなくなる数百人の臣下は誰も「王、あなた様は裸でございます。なにか黒いギザギザの足も見えてしまってお恥ずかしゅうございます。」と、ここまできても言わないことが、悲しい。その全員団結!いらない。

 

 

 

かすかな希望

 

先日、ある方から戦前のゴールデンバットの空箱をいただいた。

メルカリで売られているのだそうだ。

大日本帝國専賣局と書かれている、太宰さんも愛用の銘柄だ。

空箱ではあったが太宰さんの書斎にこれを置いた。

 

太宰さんはここで煙草をちょっと吸っては火鉢に差し差し、

終戦直後から新聞小説を書き始めた。

 

 

 

 

太宰治「パンドラの匣」より

君はギリシャ神話のパンドラのという物語をご存じだろう。あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬貪慾猜疑陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫がい出し、空をってぶんぶん飛びり、それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅に、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、その石に幽かに「希望」という字が書かれていたという話。

 それはもう大昔からきまっているのだ。人間には絶望という事はあり得ない。人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。正直に言う事にしよう。人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。それはもうパンドラの匣以来、オリムポスの神々にっても規定せられている事実だ。楽観論やら悲観論やら、肩をそびやかして何やら演説して、ことさらに気勢を示している人たちを岸に残して、僕たちの新時代の船は、一足おさきにするすると進んで行く。何の渋滞も無いのだ。それはまるで植物のが延びるみたいに、意識を超越した天然の向日性に似ている。
 本当にもうこれからは、やたらに人を非国民あつかいにして責めつけるような気取ったものの言い方などはやめにしましょう。この不幸な世の中を、ただいっそう陰鬱にするだけの事だ。他人を責めるひとほど陰で悪い事をしているものではないのか。こんどまた戦争に負けたからと
言って、大いそぎで一時のがれのごまかしを捏造して、ちょっとうまい事をしようとたくらんでいる政治家など無ければ幸いだが、そんな浅墓な言いつくろいが日本をだめにして来たのだから、これからは本当に、気をつけてもらいたい。二度とあんな事を繰り返したら世界中の鼻つまみになるかも知れぬ。ホラなんか吹かずに、もっとさっぱりと単純な人になりましょう。新造の船は、もう既に海洋にすべり出ているのだ。   ・・・つづく

 

 

                                           

 

君は神国の煙草という怪談をご存じだろうか。

吸ってはならぬ前時代の代物をつかまされたばかりに、

憎悪、傲慢、陰険、不正、収賄、偽証、隠蔽、改竄、脱法など、

あらゆる悪臭と煙が空を覆って日光を遮り、

「ごほごほ。もうやめてくれ」

「いや、なにを。最後まで吸ってもらいますよ」

それ以来、国民は絶望的な大気汚染に悶えなければならなくなったが、

 

 

                                             

しかし、底を押し開けると、その箱の隅に1本だけ清潔な煙草が残っていて、

幽かに「希望」という字が書かれていたという話。